レターズアルパック

Letters arpak
223号(2020年9月号)特集「あじ」

淡口醤油発祥の地 龍野


ほのかなる人のなさけに似るものか、龍野醤油のうす口の味。
これは劇作家であり、放蕩歌人とも言われた吉井勇が昭和34年、龍野の文芸活動団体の招き
により龍野を訪れたときに詠んだ句です。

ほのかなる人のなさけに似るものか、龍野醤油のうす口の味。
これは劇作家であり、放蕩歌人とも言われた吉井勇が昭和34年、龍野の文芸活動団体の招きにより龍野を訪れたときに詠んだ句です。
 龍野に醤油生産が広まったのは、播州平野が育む良質の小麦や大豆、赤穂の塩、揖保川の軟水などの原料に恵まれていたことが大きな要因です。
 醤油は熟成が進むほどに色も味も濃くなりますが、関西、とりわけ京都などでは、素材の持ち味を生かすため色の淡い調味料が求められました。それに応えるべく、様々な工夫を凝らし、熟成期間を短くするなど色は薄いままで、塩分濃度は高く、ほんのり甘い淡口醤油の技術が確立しました。
 淡口醤油は揖保川の水運を利用した舟便により、大阪や京都といった大消費地へと運ばれ、味を尊重する人たちに好評を博しました。

醤油醸造の煙突が残る龍野の町並み

醤油醸造の煙突が残る龍野の町並み

 冒頭の吉井勇は、華族として東京に生まれながら、京都祇園を愛し、戦後には京都府八幡市の松花堂付近に移り住み、龍野を訪れた翌年には74歳の生涯を終えています。晩年に訪れた龍野のうすくち醤油に京都祇園での思い出や激動の人生を振り返り、感慨深いものがあったのではないかと想像されます。
 たつの市龍野地区は昨年末に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。(本誌219号に掲載)これを機に今後ますます地域の活性化に取り組んでいくわけですが、町並みを保存するとともに、先人たちの育んできた「あじ」や「美しい町並み」
を次世代に繋いでいけるようなお手伝いをしていきたいと考えています。

淡口醤油

淡口醤油

鮒子田稔理:建築プランニング・デザイングループ

223号(2020年9月号)の他記事

バックナンバーをみる

タグで検索

ページトップへ