レターズアルパック

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214号(2019年3月号)特集平成をふりかえる

特集 寄稿「平成をふりかえる」


平成の終わりに平成をふりかえる。年号が変わる直前にふりかえりの作業ができるという、またとないかもしれない機会に、アルパックと関わりが深い方々に文章をお寄せいただきました。それぞれのお立場の方々のふりかえりを横並びでお読みいただけるのは、レターズ・アルパックならではと自負しています。
さて、本誌が皆さんのお手元に届く頃には新元号も発表されていることでしょう。「平成時代」最後のレターズを、どうぞお楽しみください。
レターズ・アルパック編集委員会

平成のIT革新がもたらしたもの
京都市伏見障害者授産所主任/大槻晶彦

 京都市伏見障害者授産所は平成4年に開所、平成の時代とともに歩んできました。そんな平成を振り返る上で大きな事柄としてIT革新を挙げたいと思います。
 伏見授産所は身体などに障がいがあり働く意欲がありながら就労するのが難しい人が、福祉的に働くことを通じて社会参加できるよう支援している施設です。
 その作業の一つとして印刷業務を行っているのですが、開所当初はPCの普及率も低くデザイン作成などの依頼も多くあって、受注に悩むことはありませんでした。
 しかしITの進歩によるPCの普及、ネット販売による競争激化などで受注が一気に激減してしまいました。身体的にPC作業しかできない人も多く、どうしたものかと頭を悩ませていた時に、パートナーとして一緒に仕事をつくるチャレンジをして頂いたのがアルパックさんでした。
 各種アンケート調査のデータ入力の仕事をやってみようとなって、このことが障害のある人の働き方と私たち施設ができることに、新たな展開を切り拓いてくれました。このコラボレーションは、IT革新によって導かれた新しいモデルであり、障がいのある人の生活と社会参加の可能性を大きく広げた好事例だといえるでしょう。
 来るべき次の元号の時代にも、時代の変化をうまく受け止めて、またアルパックさんと一緒になって、次の革新を起こして行きたいと思います。

平成で変わったもの変わらないもの
北山山荘(フリーカメラマン)/神谷潔

 平成3年に発足した「歴史街道」の広報のために関西各地を撮り歩くことができた。大阪中之島中央公会堂のように耐震化、再生され美しくよみがえった歴史的建造物がある陰で姿を消した建造物も少なくない。
 そのような世の中の流れの中、京都御所の東、京都府立鴨沂高校は、全面建替の予定であったが、校舎中央部と図書館棟が残った。

京都府立鴨沂高校

京都府立鴨沂高校

 昭和から続く、アルパックのごみの細組成調査の写真記録を担当して40年になる。分別収集、再資源化が進み、ごみ袋の内容も変化し、総量も減少したが「大量生産、大量消費、大量廃棄」の現実は変わらない。

約100世帯のごみ袋から出てきた「手をつけていない食料品」

約100世帯のごみ袋から出てきた「手をつけていない食料品」


1万1千日の歩みと半農半Xと
半農半X研究所代表、総務省地域力創造アドバイザー/塩見直紀

 平成という「1万1千日」(365日×30年)を自分はどう過ごしてきたか。元年1月8日に大学の卒論(日本古代史)を提出。梅田にあったフェリシモに入社。会社はすでに地球環境問題に取り組んでいて、生き方、暮らし方、働き方を変えることが人生のテーマとなっていく。芸術系大学出身の同期たちの創造性に鼓舞され、ソーシャルデザインや新概念創出
能力という言葉にも出会い、やりたいことが見えてきた。半農半Xというコンセ
プトが生まれたのはリオの地球サミット(平成4年)、平成の米騒動(平成5年)と阪神・淡路大震災(平成7年)の間のことだった。
 33歳で人生をリセットと決めていたので、平成11年、勤続10年で会社卒業。故郷の京都府綾部市へ家族でUターンして20年となる。翌年、半農半X研究所設立。平成15年、初めての半農半X本を上梓。手に取った若者が綾部にやってきたり、移住したり。平成18年、台湾で中国語版が出版。その後、大陸や韓国でも翻訳され、中国で講演する時代もやってきた。半農半Xから半X半ITという言葉も生まれ、徳島で広がっている。
 平成28年に開学した福知山公立大学(地域経営学部)の特任教員に。とある第一人者のもとで地方創生を学んできた娘も春から大学4年。就活のときが始まる。

振り返ると道ができている
弁護士/津久井進

法学部1年生のときに〝平成〟がスタートした。それまで全く関わりのなかった「法」を知り、「法」と格闘し、「法」の使い手になった。それが私にとっての30年の軌跡だ。ひょんなことから一念発起して司法試験に取り組み、弁護士になったのであるが、夢想していた未来予想図とはかなり違った弁護士人生になってしまった。
 3つのポイントがある。
1つ目は弁護士になった年に起きた阪神・淡路大震災。復興まちづくり支援をはじめ、法的支援を24年も続けているうちに「災害弁護士」と呼ばれるようになった。まったく意図しない呼称だ。2つ目は、10年目に起きたJR福知山線脱線事故。一人ひとりの支援を14年続けていたらライフワークになってしまった。そして3つ目は、憲法活動の支援。政治の極端な右傾保守化のせいで、弁護士の使命として取り組まざるを得ず今日に至る。3つは全く関連しないが、ふと立ち止まって考えると「一人ひとりを大切にする」という横串でつながっている。個人尊重主義だ。どれもこれも私の想定しない未知のテーマだったが、振り返るとそこには一弁護士の「支援のあり方」を示す道ができていた。平成はとても感慨深い。

プロジェクトに寄り添うファシリテーターとして
場とコトlab主宰/中脇健児

 私の手がけるプロジェクトは、大規模な予算や労力をなるべく割かず〝地域のつながり〟や〝関係〟を変化させる内容が多い。明快なゴールを決めて進むのではなく「できる中からどうやるか」と動くことと、拡がっていく段階では関わる人たちの正解像をゆるやかに「共有イメージや体験としてどう紡ぐか」というプロセスデザインが肝だ。こんな仕事をしていると思わず「ホント、なにが正解か誰にもわからないし、人の数だけ正解があるなあ」とつぶやく。
 もしかしたらそれが平成らしさかもしれない。1980年生まれの私はロストジェネレーションと言われ、バブル崩壊、オウム真理教事件、リストラ、9・11の同時多発テロといった大きな出来事を小〜大学生で過ごし、多くの「あたりまえ」や「社会の正解」が消えた渦中を経験した。また高度消費社会の記号的な差異とインターネット社会の旺盛は「価値観の細分化」と「コミュニティの内輪化」を招き、随分息苦しかった記憶がある。まさに「NO FUTURE!!」と叫びたくなる中で、それでも未来に向かっていかざるをえない20代の私は「新しくつくる」ことよりも「消えたもの、失われた中から〝なにを見つけ、どう創るか〟」という眼差しの角度と組み合わせの妙に自分自身の未来を見出した。それがファシリテーターとしての自分の根本にあるかもしれない。

私の平成時代
おひさま進歩エネルギー(株)初代代表/原亮弘

 いよいよ平成の時代が幕を閉じ、新しい時代を迎える。
 地元のお正月行事である「どんど焼き」に参加。七草粥のため焼いたお餅を持ち帰ると、テレビニュースが天皇のご崩御を報じていた。長い昭和時代が終わり、平成時代の幕開けである。
 私は高卒の平凡なサラリーマンとして働き、環境問題にあまり関心は持っていなかった。時々、燃焼生成物の研究者であった長兄から、オゾン層の破壊、温室効果ガスの増加など、人間の活動により地球環境が大きく影響されていることを聞き、COP3が開催されたことで環境、特に地球温暖化に興味を持つようになる。その後、兄の研究仲間との交流、そして小宮山宏先生(東京大学元総長)の「地球持続の技術」を眼にするに至り、生涯取り組むテーマとなる。
 兄の知人が取り組んでいた省エネ事業を拡げたいと、13年、脱サラして個人事務所を開設、16年にはNPOを設立(長野県飯田市)。同年末には事業会社を立上げるなど、温暖化防止に寄与することに特化した取組を行う。市民の力(お金、働く、支える等)で小さいながら拡大するなど、全力で駆け抜けた平成後半である。
 新しい時代が後の評価で人類最大の課題が解決された時代になってほしい。長兄が当時発した「何もしないと百年後の人類は地球上からいなくなる」にならないように。

地方公共団体の行方
滋賀大学社会連携研究センター教授/横山幸司

 私事だが、平成5年に私は社会人となった。地方公共団体の職員を20年あまり務めたのち研究者に転じ、今は「地方自治論」を専門としている。私の半生は地方公共団体と共にあるが、この30年間で地方公共団体も随分と様変わりした。
 私が某県庁に入庁したころは、すでにバブル経済の崩壊後であったが、いわゆるハコモノ行政は続いていた。1990年代になると行政評価等のNPM(ニュー・パブリック・マネジメント)という概念が出てきたが、多くの地方公共団体ではまだその本当の必要性は分かっていなかったように思う。それが2000年代になるといわゆる小泉改革により、三位一体の改革や民間活力の導入が推進され、ようやく地方公共団体も財政規律の必要性を感じ始めた。そして、近年は、加速化する人口減少や財政難への対応に追われている。
 直近の総務省研究会の報告書では、これからの地方公共団体はサービス・プロバイダーからプラットフォーム・ビルダーへの移行が提唱されている。公共領域は役所だけが担うのではなく、多種多様な民のアクターによって担われる。そんな時代が到来するならば、平成時代は、古き良き最後の地方公共団体の時代であったと言われる日が来るのかもしれない。

平成のアルパック
篠山市まちづくり部景観室長/横山宜致

 昭和が「戦争」に象徴されるならば、平成は「震災」だろう。
 平成のまちづくりを壮年として担ったのは戦後生まれの戦争を知らない子どもたち。次の時代を担うのは、当然平成生まれの人達だ。平成プランナーの特徴は、大学からワークショップは当たり前として経験してきたこと。そして図面を書かないプランナーが増え、空間の豊かさが伝わらない場面も多い。
 震災復興の名のもとに私たちが実践した事業は、大量生産の昭和を引きずっている。復興を急ぐあまり、整備された住宅地は、ニュータウンやHOPE計画で探求してきた住環境の質へのこだわりや工夫の経験知は、生かされていない場合も多い。集落は生業が創り出してきた景観である。第1次産業人口の減少で、全国の大地に住む必要性はなくなった。一度退去すれば消滅する可能性は高い。定住促進が課題の今、起業家育成が盛んだが、その土地で暮らし続けるための生活施設再編が軽視され過ぎていないか。定住は暮らしやすさが原点だ。住み続け、暮らしやすくするための空家活用や景観形成でありたい。敷地単位の基準から自治を含めたエリアの景観マネジメントへ。集落の文脈を理解し、まちづくりを起業する活動に期待している。

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