レターズアルパック
Letters arpak失われていく「戦後ビル」に目を向けて
戦後時期に建てられたいわゆる「戦後ビル」は、築後50年以上が経過し、建物の更新時期にあるため、建替え・解体により失われる可能性が高まりつつあります。このような背景のもと、大阪市が進める「生きた建築ミュージアム事業」において、戦後ビルが戦後の時代背景を映す重要な文化性に着目し、これらの文化性を保全・活用するための取り組みを始めています。
戦後時期に建てられたいわゆる「戦後ビル」は、築後50年以上が経過し、建物の更新時期にあるため、建替え・解体により失われる可能性が高まりつつあります。
このような背景のもと、大阪市が進める「生きた建築ミュージアム事業」において、戦後ビルが戦後の時代背景を映す重要な文化性に着目し、これらの文化性を保全・活用するための取り組みを始めています。
アルパックは、この事業の一環として、大阪都心部における戦後ビルの現状等を調査・分析し、「生きた建築」としての魅力発信や再生・活用に向けた方策を検討する業務を受託しました。調査の結果、産業集積の状況や、都市構造の遍歴、当時の建築的な流行や建築技術を物語る戦後ビルが、一定数現存していることが明らかになりました。
例えば、西区立売堀周辺に現存する戦後ビルは、1階部分の階高が高いものが多く確認できました(写真1参考)。

写真1:当時の産業の影響が垣間見える戦後ビル
この傾向は、この地区で問屋業が発展し1階部分を倉庫として利用していた名残であることが分かりました。物流が発展し、問屋産業が大規模化する以前の時代背景が垣間見える建築物といえます。また、外装に使用される素材についても、戦後・高度成長期ならではの特徴があることが分かりました。つやつやとしたタイル、様々なサイズや色のガラスブロック、角の丸い窓…など、現代では生産されていない製品や、当時の手仕事が残る仕上げが見られました(写真2参考)。

写真2:角の丸い窓が使用された戦後ビル
上記のようにこの調査業務では、失われていく(時代の変化に淘汰されていく)ものの背景に目を向け整理し、建築当時の状況を推し量ることで、なんらか戦後ビルには価値や魅力がありそうだ、と結論付けました。つまり、戦後ビルが生きた建築の概念である「ある時代の歴史・文化、市民の暮らしぶりといった都市の営みの証であり、様々な形で変化・発展しながら、今も生き生きとその魅力を物語る建築物等」に合致するものであることがある程度分かった、といえます。
最後に、昨年度に引き続きアルパックでは、戦後ビルの調査業務を行っています。今後、戦後ビルの価値や魅力が一般化され、戦後ビルが一つの建築様式として扱われるようになるかもしれません。
都市再生・マネジメントグループ 芳田知紀・吉岡志穂
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