レターズアルパック
Letters arpakアルパック・パーソナル・ヒストリー・アーカイブプロジェクト リレーセッション 第3回 道家駿太郎
第3回目にお越しいただいた道家駿太郎さんは、アルパック創業期から建築計画・設計を担われ、そして今もOB・OG会の会長としてご尽力いただいている、まさにアルパックの“礎”といえる存在です。ご自身が手掛けた業務のみならず、アルパックのエポックとなった様々な業務や人物について、ついこの間の出来事のようにいきいきと、生々しくお話しいただきました。
第3回目にお越しいただいた道家駿太郎さんは、アルパック創業期から建築計画・設計を担われ、そして今もOB・OG会の会長としてご尽力いただいている、まさにアルパックの“礎”といえる存在です。ご自身が手掛けた業務のみならず、アルパックのエポックとなった様々な業務や人物について、ついこの間の出来事のようにいきいきと、生々しくお話しいただきました。アルパックとは「何者」で「これから何を目指していくべきか」についても示唆をいただき、私のような社歴の浅い人間にとっても大変学びの多い時間となりました。
道家さんは1969年に入社。まだ「株式会社」にもなっていない、所員総勢十数名程の頃です。天才・奇才が集まる東京藝大のご出身でありながら、なぜわざわざ西の都・京都の小さなアトリエに入ろうと思ったのでしょうか?そこにはやはり、20世紀の「住まい」をつくった建築家・西山夘三先生の思想への共鳴があったそうです。
当時の日本の「公営住宅」のあり方に疑問を持ち、設計以前に政策面から考えないといけないと感じた道家さん。大学院を卒業後、西山先生の門下生であり、以前から交流のあった三輪さん・浅田さん・霜田さんが創業していたアルパックに入社の合意もないままに身を寄せ、平行定規1本を持参して設計スタッフとして「何でも描きますよ」と居座った(!)そうです。私にはとてもそんな度胸はありませんが、そんな熱意と活気をもったメンバーで満たされていたのが当時のアルパックだったのでしょう。その後、大阪万博や城崎温泉での実績へとつながったのはご存知の通りです。
「世界的なシンクタンク」「地域住民のためのコンサルタント」を目指し、京都から日本中、そして世界へと発信していくんだ!という創業当時の思いは今も変わらないつもりですが、道家さんからはこの頃の「レターズアルパック」を見て、アルパックがこれからどう次のステージにつなげていくのか、世界にどう広げていくのか、展望や気迫が感じられないという苦言もいただきました。関西万博を目前に控え、改めてハチマキを締め直さねば!と感じた所員一同でした。
倉見祐子
246号(2024年7月号)の他記事
バックナンバーをみる
タグで検索