レターズアルパック
Letters arpak『まちの町医者 備忘録』 アルパック名古屋40年。 想い出す記憶を12章にまとめ、風媒社(名古屋)から出版
京都から名古屋に移り、仕事を始めた頃、私の職能を「まちの町医者」と自認するようになった。村・まち・地域を調査・計画することは、人の心と体を診る医者と似て「まちの町医者」に例えられる。愛読書・山本周五郎「赤ひげ」の影響がある。後期高齢者になり、改修した小さい町家での京都住まいを復活しようとする同じ頃、アルパック名古屋を開設して40年、建築を基点とする計画系シンクタンクとして何をしてきたのか、ふと気になり、想い出す記憶のままに『まちの町医者 備忘録』を書き始めた。
京都から名古屋に移り、仕事を始めた頃、私の職能を「まちの町医者」と自認するようになった。村・まち・地域を調査・計画することは、人の心と体を診る医者と似て「まちの町医者」に例えられる。愛読書・山本周五郎「赤ひげ」の影響がある。
後期高齢者になり、改修した小さい町家での京都住まいを復活しようとする同じ頃、アルパック名古屋を開設して40年、建築を基点とする計画系シンクタンクとして何をしてきたのか、ふと気になり、想い出す記憶のままに『まちの町医者 備忘録』を書き始めた。
記憶は記録と違い、時系列や空間配列とは無関係に印象の強い勝手な想い出が連鎖し、第三者には読みにくい構成になる。読み易くするため、時に用語解説やエピソードを加えた。書きながら想い出すのは人。結果は出会った方々を記述する尋ね人のような備忘録になった。備忘録の40年は戦災復興以後の地方自治・国土計画・都市計画・都市整備・文化財・環境保全・産業振興・空港・港湾の法が現形になる過程であった。ここにも着目して頂きたい。
令和3年(2021)春に思い立ち、全体が見えたのが令和5年(2023)春。正味3年、記憶の書き起こしに没頭。幾久しく忘れていた熱い集中だった。
脱稿の頃、名古屋の「風媒社」編集の林桂吾さんを尋ねた。林さんとは「やっとかめ文化祭」(名古屋市)の「亀山巌」(元名古屋タイムス社長・豆本収集家、青春期の私の助言者)の著作展示・講演会で親しくなった。凡そ300頁が文字だけの単調さを補うため、名古屋の空撮(東鮓・横井行風氏同行、ヘリにて地上300m、時速200km)を各章に使用。この備忘録の特徴である(著作権は尾関)。
初校以後8ケ月かけて編集・校正、令和6年(2024)4月、足掛け4年で上梓となった。それでも誤字を遺した。関係の方にはお詫びを申し上げる。
顧問 尾関利勝
245号(2024年5月号)の他記事
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