レターズアルパック

Letters arpak
232号(2022年3月)特集「種を蒔く」

種を蒔く土壌と施肥、そして育つ


皆さん「京都ファッション産業団地」を、ご存知でしょうか。なんとまあ、大きくなって。97メートル。京都で最初の超高層ビル、京セラ本社ビルです。

 皆さん「京都ファッション産業団地」を、ご存知でしょうか。
 なんとまあ、大きくなって。97メートル。京都で最初の超高層ビル、京セラ本社ビルです。

「種」が蒔かれた
 蒔かれた土地は、伏見西部土地区画整理地区。蒔かれた時は1963年2月1日。この日、室町の繊維問屋が「洛南地区開発組合」設立。中小企業ばかりでした。河野卓男理事長の「河与」も呉服問屋で、室町四条の本社は、木造2階建。上履きに履き替えて上がるといった具合。ところが、1950年代、産業構造が、ひたひたと変わってきていました。大規模な戦災を免れた京都へ、企業が押し寄せ、創業が相次ぎました。立石電機(48年)、ワコール(49年)。堀場製作所(53年)、ローム(58年)。1959年4月、7人で創立した〝京都セラミック〟も町工場でした。電気・機械が、繊維・染色に代って、リーディングインダストリーに育っていたのです。生活様式の変化で、繊維・染色も変ってきました。和物に代って洋物へ。「河与」は呉服からショール、パラソルへ。社名もブランドの「ムーンバット」へ換えました。

新天地で「発芽」
 商品のカサが、飛躍的に大きくなり、室町通りはトラックで渋滞。そのような時、1960年3月、伏見鳥羽で、区画整理の都市計画決定。区画整理は「都市計画の母」と言われますが、土地の形質を変えるだけ。「ウワモノ」に弱い。時の松嶋助役が、河野さんらに「ささやいた」と思召せ。〝この辺を買っておいてくれないか〟と。モチベーションが合体しました。都市計画技術という肥しを与えると、プロジェクトになりました。
 組合が買った土地を市が集中換地する。換地されたスーパーブロックを〝組合減歩〟で中央道路をつくり、組合員を配置する。「感応」するように動き出し〝芽〟が出たのです。
 1968年10月、組合に任命された「技術顧問」のお仕事です。組合は名前を「繊維産業団地」へ、更に「ファッション産業団地」へ替え、通称名「京都ファッションタウン」と「三ヶ条の憲法」を決めました。
(概要)
(1)京都市の都市計画に従う。
(2)土地を投機の対象にしない。
(3)組合員の平等・互恵の精神を貫く。

「花」が咲く
 「団地」の性格・機能が変ってきました。物流・配送から、展示・集会へ。1987年4月、準組合員・京都府総合見本市会館(パルスプラザ)竣工。11月、世界歴史都市博覧会会場です。団地に「ハナ」が咲いたのです。続いて、研究・開発へ。中枢管理機能へと進むはずが、既存の「都市計画」とぶつかりました。組合は、田辺市長へ都市計画の見直しを要望しました。準工業地域を、日影制限のない商業地域へ、同時に団地全てに「地区計画」を。かくて、1998年8月、京セラ本社竣工。区画整理事業のむすびは、地名・地番の変更。団地は「竹田鳥羽殿町」です。11世紀,白河上皇の院御所の跡です。

左から、メモワールビル(主任・前田)、京セラ本社、パルスプラザ(主任・北条)

左から、メモワールビル(主任・前田)、京セラ本社、パルスプラザ(主任・北条)

「メモワール」
 以来、24年が経ちました。組合員の顔ぶれは、変わりました。1994年1月に竣工した「メモワールビル」は、共有資産で、組合員企業社員のための福祉施設があります。組合は、今も任意団体です。ビッグもスモールも対等平等、一人一票のアソシエイツなのです。メモワールビルは、組合創立から60年の「記憶」を刻んでいます。
 2003年6月18日「技術顧問」の職務は、個人からアルパック(社長)に代りました。約35年、三輪泰司、斎藤侑男、北条誠、前田怜嗣、松尾高志は、京セラ、パルスプラザはじめ、組合の皆さんとともに、「若造」から「ベテラン」へ育ってきたのです。





名誉会長 三輪泰司

232号(2022年3月)の他記事

バックナンバーをみる

タグで検索

ページトップへ