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Letters arpak名古屋の下町歴史巡りと アルパック名古屋の仕事の足跡
城下町名古屋と堀川
名古屋は1610年開府の城下町を下敷きに、都市を形成している。尾張は木曽三川の沖積地に形成された千年以上の歴史を持つ荘園地帯で、戦国武将発生の舞台となった。
城下町名古屋と堀川
名古屋は1610年開府の城下町を下敷きに、都市を形成している。
尾張は木曽三川の沖積地に形成された千年以上の歴史を持つ荘園地帯で、戦国武将発生の舞台となった。城下町は海抜十メートルの名古屋台地の上、那古野庄と言われた荘園跡の新都市。旧街道が城下から放射状に各地を結び、東海道とは本町通から名古屋道を経て七里の渡の湊・宮の宿で接続していた。名古屋城と城下町の築造とほぼ同時に、堀川が開削される。堀川は築城の資材輸送に始まり、城下町の生計を維持する物資輸送路として、近代まで活用されていた。
名古屋で最も古い商店街
堀川上流の五条橋。橋の南、堀川右岸に、石垣に白壁土蔵が並ぶ四間道(防火で道を四間に拡幅)がある。
名古屋では城下町の誕生を清須越しと言う。四間道は清須越し七人衆と言われ、清須から移住した大商人が住んだ由緒ある町並みでもある。五条橋から東は京町通、京都から移住した薬商などの上町。西が美濃街道と重なる円頓寺商店街の下町。当初は築城に関わる人足の遊興で賑わい、18世紀以後、円頓寺などの門前町として栄え、最盛期には映画館もあったが、その後、シャッター通となり、女性主導の下町衆の努力で復活しつつある。
名古屋の商店街事情
名古屋では大須商店街の賑わいが知られる。世の中の景気が良い時は大須が衰退し、景気が悪い時は大須が元気だとは大須商店街幹部の談。大須の他、復活する円頓寺を除いて、名古屋の商店街は壊滅的に衰退。商店街の盛んな東京・京都・大阪とは比較にならない。名古屋は大型店と車が多いことが影響している。
円頓寺商店街 東と西の端
五条橋西の袂、5時開店と同時に満席の居酒屋「五條」。44年前の元八百屋の空き店舗活用先進例、店内は口の字カウンター。看板は「どて焼き」だが、焼き鳥、串カツ、どて、奴など名古屋型居酒屋の典型。千円札2枚でおつり。
円頓寺商店街を外れて西の端、栄生に屋台風串カツ屋の集積で有名な居酒屋街がある。
栄生(さこう)には我が国最大の企業博物館、トヨタ産業技術記念館がある。お年寄りの学習会で産業技術記念館を学習後、ノミニケーションは近くの串カツ屋街にある居酒屋「五條」。同名の不思議を尋ねると、五条橋袂の店は妹に譲り、ご自身が栄生を経営する兄妹店との答え。なるほど品書きも同じ、価格も千円札2枚でおつり。話を聞いて点が線になった。
トヨタ産業技術記念館
トヨタ財団のご依頼とご指導で構想・基本計画を私どもがとりまとめ。
倉庫となっていた煉瓦壁の旧織布工場を企業記念施設の博物館とする歴史的建造物活用計画。建物調査は日本建築学会、博物館計画はトヨタ財団ご指導で私どもが担当し、トヨタグループに提案、後、実現した。
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名古屋事務所 尾関利勝
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