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228号(2021月7月号)まちかど

母から聞く神田のむかしと、 ジョジョと歩く神田のいま


よく「住むところなんてあるの?」と驚かれるほど生活感のないまちなのですが、私の母方の家系は江戸時代から代々、東京事務所のある神田に住んでいます。

 よく「住むところなんてあるの?」と驚かれるほど生活感のないまちなのですが、私の母方の家系は江戸時代から代々、東京事務所のある神田に住んでいます。
 東京は空襲で焼け野原になってしまいましたが、母が生まれ育った淡路町・須田町には、戦災を免れた老舗有名店が数多く残っています。神田まつやもその一つ。午後の早い時間から蕎麦味噌や板わさを肴に呑む地元のおじちゃん達で賑わっています。母曰く、江戸っ子にとってお蕎麦屋で呑むのは通で、この光景は今も昔も変わらずなんだそう。
 まつやの角を曲がりすこし歩くと、今は亡き祖父が戦前「キッチャテン」と呼び、通った喫茶店「ショパン」があります。母の20代の思い出もたっぷりつまった場所です。このあたりは、かつての下町。神田を感じることができる貴重な一角なのです。
 今私が住んでいるのは、そこから10分ほど歩いた「紺屋町」という地区です。江戸時代の神田は職人のまちとして賑わっていました。紺屋町という名は、藍染職人が軒をつらねていたことから付いたそうです。区画整理で多くの町名が失われてしまったものの、歴史文化にちなんだ町名が今もなお数多く残っています。紺屋町から南に20秒歩くと「北乗物町」、北に20秒歩くと「富山町」という具合に。
 今日の紺屋町は雑居ビルや駐車場、居酒屋ばかりで、お散歩欲がそそられる!とは言いがたく、ただ通りすぎる場所、そんなふうに思っていました。しかし、ジョジョという寄り道の名人(愛犬)と暮らし始めて、私はこのまちの面白さをじわじわと感じるようになりました。

須田町のいせ源と竹むら:のこぎりで氷を切るおじさん

須田町のいせ源と竹むら:のこぎりで氷を切るおじさん

 ジョジョは、ビルとビルの隙間を覗いたり、普段通ることのない小道に入って行ったり、変なところで足を止めたりします。ジョジョと歩くと、この雑多なまちなかにある人々の暮らしが目に入ってきます。古い低層ビルを見上げると、洗濯物が干してあり、鉢植えに花が咲いています。ビルの隙間には地域ネコのための、寝床やごはんが用意されています。同じまちに住んでいるのに、こんなところにも人が住んでいたのか!と驚きます。ほかにも、箱屋に仕立て屋、香料メーカー、歯科技工士、薬問屋、塗料屋、印刷屋、何をしているかよくわからない〇〇工業など、多様な商工業が密集していることに気づかされます。
 また、ジョジョが日々挨拶まわりとお友達づくりに勤しんでくれるおかげで、ちょうどいい顔見知りが増えました。老舗酒屋さんのお兄さんたちや祖母も通った美容室のおばさま、近くの清掃員さんに公園在住のおじちゃんなど。住んでいる人、通っている人、若い人、お年寄、今まで関わることのなかった人たちと知り合っていく。一見生活感のないこのまちにも、人の暮らしやつながりある。いつもと違ったリズムでまちを体験する面白さを感じながら、明日もジョジョ散歩に出かけます。

東京事務所多摩分室 山本 梓

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