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227号(2021月5月号)まちかど

地域の「居場所」の社会実験 ~パブリックハウス「モモ」の話~


山梨県の南アルプス市に、パブリックハウス「モモ」という居場所がこの春に誕生しました。
庭付きの大きな古民家で、和室が6部屋ほどあり、縁側は開け放たれていい風が土間を吹き抜けていきます。Kさん(ご夫婦)と社会福祉士の女性など数名が中心になり運営されています。

 山梨県の南アルプス市に、パブリックハウス「モモ」という居場所がこの春に誕生しました。
 庭付きの大きな古民家で、和室が6部屋ほどあり、縁側は開け放たれていい風が土間を吹き抜けていきます。Kさん(ご夫婦)と社会福祉士の女性など数名が中心になり運営されています。
  いろんな人が集う場所で、奥ではお母さんがマッサージを受け、手前では小学生がかき氷を食べ、縁側ではおばちゃんたちが談笑、庭では小さい子どもが水鉄砲を持って走り回る。襖を通して気配は伝わる、でもお互い気にならない、そんな心地よさ。広い台所からは、注文の入ったお弁当を作る、いい匂い。

庭と縁側のある大きな古民家

庭と縁側のある大きな古民家

 モモに行くと、いらっしゃいませではなく「おかえり」と声がかかります。手遊びなどの盛沢山のプログラムなんてものはなく、サービスの提供者と「利用者様」の関係でもない。そこに居たいだけ、居たいように居ることができる、大きな家族のような関係。子どもが子どもらしく居ることを受け入れてくれるから、親も「行儀よくしなさい、走り回ってはいけません」と叱りつける必要はありません。子どもも親も硬かった気持ちが解けていくようです。
 人が孤立を感じるときというのは、頼る人や頼れる場が、誰も、何もないのだと思い知らされる場面なのだと思うのです。「学校に行きたくない」と言う子どもと、その裏にある事情を察しつつも「働きに行かなくてはいけない」という親、「平日は学校に行くのが当たり前だ」という支配的な社会の価値観。途方に暮れるような場面で、「おかえり」と言いながら受け入れてくれる場所、モモはそういう場所になろうとしているようなのです。「公(官)」では対応しきれない、「民」ではビジネスとして成り立たない、その間で困っている人を助けるための「公民間」をめざしているのです。自分たちだけでやるのではなく、志を持った人をどんどん巻き込んでいこうとしているのです。
 『みんなはなにかことがあると、「モモのところに行ってごらん!」と言うのです。』(ミヒャエル・エンデ作「モモ」) コロナ禍が長引く中、助けを必要とする人も、より自分らしく地域社会に関わりたいと思う人も増えています。地域の中で暮らす普通の人が、誰かの役に立ちたいと志を持った時に、ドアをノックする場所。そして、いろいろな人とつながりながら想いを形にして、誰かにとっての「モモ」になれる場所。「社会的処方」(病に対して薬でなく地域の資源や関係性を処方するという考え方)を地域の中で実現するための、壮大な実験の場となっています。

水鉄砲遊びの休憩中の子と談笑するお大人

水鉄砲遊びの休憩中の子と談笑するお大人

都市・地域デザイングループ 依藤光代

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