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227号(2021月5月号)特集「風 KAZE」

風に乗って、伊勢・志摩の五月


皆さんは、〝修学旅行〟は、何処へいらっしゃったでしょうか?伊勢?アルパックで最初の社員旅行は伊勢参り。近鉄特急ができて、日帰りを試してみました。創立した1967年の秋です。創業メンバーと娘・絵里子の7人。翌、1968年の4月28日、運転免許を取りました。その1週間後、5月4日。伊勢志摩へドライブしました。日産の中古。赤いダットサン。

 皆さんは、〝修学旅行〟は、何処へいらっしゃったでしょうか?伊勢?
 アルパックで最初の社員旅行は伊勢参り。近鉄特急ができて、日帰りを試してみました。創立した1967年の秋です。創業メンバーと娘・絵里子の7人。翌、1968年の4月28日、運転免許を取りました。その1週間後、5月4日。伊勢志摩へドライブしました。日産の中古。赤いダットサン。
 「風」は、カゼではなく、フウと読むのです。ナンバープレートの[京都5・ふ◯◯◯◯]を見て、小学校1年生の娘が〝フーちゃん〟と名付けました。
免許1週間だって?ご心配無用。クルマの数は、今の十分の一どころか、百分の一くらい。そのかわり、舗装道路でなく地道です。ハイウエイなんて全然ない。日帰りでした。

さて誰でしょう

さて誰でしょう

 その3年後、1971年8月29日~31日、最初の全社研修会、2泊3日。テーマは「事務所の歩みと経理システム」社員は17名になっていました。行き先は、伊勢志摩。浜島の合歓の郷と五ケ所湾。2日目に台風に会いました。
 何故、伊勢志摩なのでしょう。
子どもの頃、と言っても中学校1年生の頃、御所の東にあった隠居で、一緒に暮らしていた、祖父に伊勢参りの話を聞いていました。自転車で行ったのだそうです。祖父は当時、独身でした。明治26年に、24歳で、19歳の祖母と結婚していますので、1890年前後、明治23~24年頃でしょうか。
 その頃、自転車は舶来のハイカラで、今でいえば、ランボルギーニみたい。それに、写真機を持っていっているのです。ガラス乾板ですよ。重いです。
 伊勢参り、伊勢講、断片的に聞いていました。意識の底に、貼りついていたのでしょう。西山英雄さん、森野嘉光さんら、京都の芸術家が、別荘村を創ろうと、お声が掛かった時、すぐ手を挙げました。南勢町の五ケ所湾でした。
 祖父・芳太郎は、本田味噌の三代目です。次男ですので、14歳で、断絶し掛けていた公卿侍の養子になりました。その家の姓が「三輪」です。
 三代目はなんでも、新しいことをするのだというのです。動力源を石炭ボイラーに、運搬はベルトコンベヤーや天井走行クレーンに。「唐様で、売り家と書く、三代目」、というやろう。早々に辞めるか、思いきった大改革をするのだというのです。私は、祖父から三代目です。何か、新しいことを拓いたでしょうか。伊勢志摩の海と森がみています。

名誉会長 三輪泰司

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