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226号(2021年3月号)特集「萌え」

萌えるハル・輝くイノチ


皆さん、生まれて最初の記憶は何でしょう?お母さんのオッパイ?乳母車?

 皆さん、生まれて最初の記憶は何でしょう?お母さんのオッパイ?乳母車?

初めての記憶
 味噌屋のセガレの私は、後継ぎにと、生まれてすぐから祖父母に育てられました。祖母はもう57歳でしたので、乳母がいました。ある日、乳母の実家へ連れられたのです。草の上に座らされ、ヤッコラサと立ち上がったら、目の前が、いちめん、マッ黄色でした。菜の花畑だったのです。1歳8ヶ月くらいでしょうか。これが強烈な〝最初の記憶〟です。それからは「黄色」が気にいって、グリコより森永キャラメルの箱に手をだすのです。

菜の花畑のスケッチ(三輪作)

菜の花畑のスケッチ(三輪作)

「八瀬」のはじまり
 それは、八瀬の里でした。「ハタのウバ」と呼んでいたおばちゃんに久しぶりに会ったのは中学3年の夏、祖父が亡くなったお通夜の席でした。「マア大きくなって」と抱きしめられました。髪の「椿油」の匂いをおぼえていました。ハタというのが苗字なのか、地名なのか、判らないのですが、保育事業団を立ち上げ、八瀬保育園の亀先生に「こんなところがある」と教えられさっそく、嵐山保育園の藤本先生、光林保育園の嶋本先生、まこと幼児園の坂口先生と見に行きました。「そうだ、八瀬でなければならない」と〝感じた〟のです。

なぜ八瀬か
 その昔、禁裏はじめ、公卿の家では、男女を問わず、子どもを八瀬へ里子に出していたそうです。土地の子らと一緒に野山を裸足で駆けまわっていたのです。お公卿さんというとなよなよしているように思われていますが、マツリゴトの世界は厳しい。ボケーとしてはおれないのです。身心を鍛えていたのです。園長さん方は、それぞれ由緒あるお寺さん。このことを、知っておられたでしょう。禁裏御用の味噌屋も知っていて、真似をしたのです。

チカラの源
 子どもの日々生長するエネルギーはすごいです。ここは、パワースポットです。聖地です。子どもたちは、草木や虫やけもののこともよく知っています。栗を拾い、茸を探します。猿や鹿もお友達です。

続くイノチ
 今年、八瀬野外保育センター50年です。「八瀬」へ行ったことのある子どもは、延べ何十万人になるでしょう。今や、社会の中堅です。
 世の中は変わるでしょう。デジタル化、グローバル化はもう進んでいます。変わらないのは、誰でもみんな、子どもであったことです。

名誉会長 三輪泰司

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