レターズアルパック

Letters arpak
224号(2020年11月)特集「あそび」

身近な外遊び


withコロナ・afterコロナ時代は、生き物の「密度」がキーワードの一つのように考えられます。人間の暮らしの密度として、都市化が進んだ自分の原風景を振り返ってみました。

 withコロナ・afterコロナ時代は、生き物の「密度」がキーワードの一つのように考えられます。人間の暮らしの密度として、都市化が進んだ自分の原風景を振り返ってみました。
 まず、保育園に通う道中、稲荷神社境内の池の端で甲羅干しをして動かないカメを眺めるのが日課でした。小学校時代は、裏参道には筆で蛇に似せて名前を目の前で書いてみせたり、夏にはヤドカリを洗面器に入れて売っている露店等も数多く出ており、下校時にはそれらの店主と話をしてよく道草を喰いました。また、冬には山の頂上まで1周する校内マラソンが毎年あり、そのルート上には昨今有名となった千本鳥居もあります。
 家から見える地肌の斜面に、白っぽい土でできた小山を塩山、赤っぽい方はラクダ山と名付けて、ダンボールを敷いて滑り降りが楽しみでした。近所の空き地では、数人の友達を集めてのタイベン(3角ベース)、民家の2階ぐらいの高さを通る鉄道敷きの土手斜面がバックネット代わりになり、夕焼け空をバックに蒸気機関車が煙を吐いて加速する雄姿をみながらボールを追いかけていました。
 最も身近な遊び場は、道路でした。アスファルトになる前は砂利道で、砂ぼこりもたっていました。我が国に歩道がないのは、道路すべてが歩道だったからと聞きましたが、キャッチボールや縄跳び、道路で嬉々と遊べた時期が懐かしく、車がまちの隅々まで入れるようになった昨今、便利な反面、何か窮屈な気がします。
 今では、池は食事処、参道も食べ物店が主となり、山の斜面は駐車場、空き地は宅地として整備され、いい加減な空きがなくなり空間的に密になっていることを改めて実感しました。新しい生活様式として身近な環境で外遊びができる「(人、空、時)間」も必要かもしれません。

小阪昌裕:公共マネジメントグループ

224号(2020年11月)の他記事

バックナンバーをみる

タグで検索

ページトップへ