レターズアルパック
Letters arpakアルパック・スピリッツ「国鉄吹田駅前市街地再開発ビル」
「医者が、医療技術だけでは済まないように、都市プランナーは、都市計画技術だけでは済まない」
「医者が、医療技術だけでは済まないように、都市プランナーは、都市計画技術だけでは済まない」
国鉄吹田駅前市街地再開発は、1969年に始まり、完成までに10年の歳月を要しました。吹田とのご縁は、万博でした。ジモト「健康の森」グループの支援と協働のたまものです。当時は都市再開発法が出来て間もない頃であり、アルパックが創業して3~4年で、初めて取り組む再開発事業でした。三輪は、再開発法制定前にアクションを始めていました。東京の建設省まで行って担当官に夜までかかって教わりました。当時40歳です。可愛げがあったのかもしれません。
吹田駅前再開発は、JV(ジョイントベンチャー)ではなく、単独で受託し、権利変換計画から設計・監理業務までフルコースだったそうです。単独と言えども、様々なネットワークを動員し、地元の支援を受け、事業主体である吹田市の市長、担当部長を始め、協働して取り組みました。もちろんビッグプロジェクトですから、アルパックの所員の大半が関わることになりました。さらにプロジェクト遂行には、「都市計画」と「建築」の専門技術が必要不可欠でした。大変な事業でしたが、三輪が猛勉強した経験と両分野の技術者がいたので対応できました。
まちづくりは都市計画技術だけではできません。目的に応じてプラスアルファがあり、再開発のプラスアルファとは何か、と三輪から聞き手の参加者へ問いかけがありました。
土地区画整理事業は面的(2次元的)、市街地再開発事業は立体的(3次元的)であり、権利調整が3乗になる、即ち、再開発におけるプラスアルファは、交渉力であるとのことです。国鉄吹田駅前市街地再開発における店舗や住宅等の権利者は200以上もあり、それに伴う権利返還の交渉も大変だったそうです。一方でキーテナント(核店舗)の交渉も重要で三輪は、度胸と粘りで阪神百貨店の本社に乗り込み、交渉に臨んだようです。紆余曲折あり残念ながら最終的にテナント誘致には至りませんでした。次に交渉に向かったのが、当時、吹田市の江坂に本社があったダイエーでした。交渉の末、テナント誘致にこぎつけましたが、百貨店とスーパーマーケットでは扱う物資が異なり、百貨店の搬入動線では、大型トレーラーが回転できないため、設計変更が発生したとのことでした。再開発事業を一手に引き受けていたため、随時、設計変更を行うことで、追加工事が発生しないようにすることが可能でした。
また、徳島県郷土文化会館(設計西山夘三先生)の現場から戻ってきた倉本(当時30歳)も権利変換の交渉に加わり、夜中でも訪ねて話をしたそうです。
「都市プランナーと建築デザインのチームプレーもラグビーのプレーと同じです。」
再開発は、建築法規、権利調査、従前・従後評価からプレゼンテーションまで、様々な技術・能力が要求されます。対外(建設省、事業主体、テナント候補)交渉から対内(グループ、チーム等)統括まで、それぞれに役割・個性があり、三輪は、まるでラグビーチームのようだと言っていました。建築屋と都市計画屋が一緒になって事業を進める必要があり、国鉄吹田駅前再開発では一緒にやったが、建築はコンペか設計事務所に頼むことにより、アルパックは得意な都市計画分野に注力することができるとも言っていました。
倉本からは、地区外移転権利者と市とペアでの交渉や、権利者が住む藤白台住宅の設計について説明がありました。藤白台住宅は、その後も改修などをお手伝いしていますが、当時、権利者同士でできた独自の「自治」は、今日も機能しているそうです。
一つの事業が完成するまでに10年以上かかります。行政の技術者も複数のプロジェクトに関わる機会はなかなかありません。アルパックのコンサルタントならではの経験と技術の蓄積は、その後の京都駅南口、山科駅前、尼崎駅、蒲郡等の再開発事業への受託につながることになります。
「地元での地域情報が重要である」
地元の居酒屋に行けば、地域情報が分かるそうです。ある時、計画地一帯で戦時中に爆撃があった話を聞いた三輪は、建築設計の仕様書に不発弾処理の内容を盛り込んだところ、工事中に不発弾が2回出てきたとのことでした。
「吹田の再開発事業の経験は、その後アルパックの経営戦略を決めた」
事業を推進していくうちに、二つのことを学びました。一つは、テナント、地権者の増床への融資など、吹田の地権者は主に、飲食・物販業でした。まちづくりとは、中小企業支援だと判りました。二つ目は、アルパック1社だけでフルコース受託は問題でした。技術力が大きく割かれます。建築事務所との協働と、以後コンペによる選定と運営に力を注ぎました。
「40周年を迎えた現在の再開発ビル(吹田さんくす)を見学」
現地視察では吹田さんくす1番館、2番館、3番館を吹田市開発ビル株式会社の高田さんにご案内いただきました。テナントがダイエーからイオンに変わり、耐震改修がされたりと、竣工当時とは少しずつ姿を変えていきながらも、施設内は、地元の買い物客で賑わっていました。駅前広場も昔は、広場の中に道路が通り、ロータリーの形も現在とは違っていたそうです。吹田さんくすが、今後も多くの人で賑わってほしいです。
※アルパック歴の浅い職員が、アルパックのエポックとなったプロジェクトの現場を創始者の三輪泰司と共に訪れてアルパック・スピリッツに触れ、その一端を三輪自身の言葉とともにみなさんにご紹介します。
杉本健太朗
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