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216号(2019年7月号)特集はずむ

モノが弾み、ココロ弾む


わが家の家訓第二条は「意味なき費用は費やす勿れ」といいます。裏返すと「意味ある費用は思い切りよく使え」。その意味は?。 祖父存命中には、聞きもらしましたが、家譜・墓誌等の記録により歴史探究する方法があります。

 わが家の家訓第二条は「意味なき費用は費やす勿れ」といいます。裏返すと「意味ある費用は思い切りよく使え」。その意味は?。
祖父存命中には、聞きもらしましたが、家譜・墓誌等の記録により歴史探究する方法があります。

リスク分散と大改革
 本田味噌「丹波屋」には元治元年(1864年)の「御台所御用控」が現存します。初代茂助が、天保元年(1831年)に創業し、禁裏御用に励んで三十四年、世相は激動の時代。その三代目は、茂一郎と私の祖父・芳太郎の兄弟でした。明治十四年(1881年)十二歳の次男・芳太郎は養子に出されました。明治十二年、徴兵令改正に備えてですが、三代目兄弟のリスク分散です。初代と二代目は、格言「唐様で、売り家と書く、三代目」を知っていたのです。それで、次男は養父の公卿侍の三輪を名乗り、明治二十九年(1896年)二十七歳で分家しました。当の次男は、所帯を持って自覚し、考えたでしょう。潰すか、大改革するか。熟慮を重ね、徹底的な近代化の道を選びました。独立のため調達した資金5万円を投資し、土地・工場・設備等、資産に換えました。「意味のある費用は思い切って使え」です。

響き合う技術と感性
 動力源は石炭ボイラー、搬送はベルトコンベアー。工場も住居も蒸気による全館暖房。番頭たちはボイラー・天井走行クレーン・フォークリフトなどの免許をとりました。
 祖父は、この経験から自分の後の三代目、即ち孫世代の私たちがボンクラ育ちで、事業を危うくする怖れに対処しました。二人の「新三代目」のうち、私の方をリスク分散、即ち、別の道へ進めようとしました。妻、即ち祖母の兄が、天竜寺組の大工でした。昭和十三年(1938年)、六十九歳で隠居。小学校六年生の私を隠居の立地選定から連れてゆきました。大工・庭師とのやりとりも聞かせました。長押は北山丸太でした。どのように隅合せするのだろう。感動しましたね。芸術作品のようです。
 茂一郎・芳太郎は、十一歳も違いましたが、とても仲の良い兄弟でした。茂一郎さんが訪ねてくると、玄関の四畳半で、話し込んでいるのです。私はお茶を出す係り。玄関に、ピカピカに磨きこまれた置物がありました。紫の袱紗に置かれ、シュールなオブジェのようです。実は、ボイラーの真鍮製蒸気抜でした。
 御所の西、府庁の北のこの隠居には、西山夘三先生も来られ、アルパック創業の作戦会議場でした。カンパニーとアソシエイツ、専門と総合、アートとテクノロジー、学協会活動と資格取得奨励など、ここで議論していました。アートが自己資産になることを学んだのもここでした。

伊庭新太郎:静物 1967年(二科会常務理事・嵯峨芸大名誉教授)アルパック・アート・コレクション第1号(自己資産第一号)<具象から抽象への初期・油彩4号>

名誉会長 三輪泰司

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