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215号(2019年5月号)今、こんな仕事をしています

「ジョーのある町・尼崎」-平成最後のお城「尼崎城」が開城!-


「たつんだ!ジョー」の声援を受けて、平成31年3月29日、尼崎に新しいお城がオープンしました。
もともと尼崎城は、大坂夏の陣の後、江戸幕府が大坂を直轄地として西国支配の拠点とするために、譜代大名戸田氏鉄に築城させたものです。当時は甲子園球場の約3.5倍にも相当する、3重の堀、4層の天守があったそうです。しかし明治時代になると、役割を終え廃城されました。

 「たつんだ!ジョー」の声援を受けて、平成31年3月29日、尼崎に新しいお城がオープンしました。
 もともと尼崎城は、大坂夏の陣の後、江戸幕府が大坂を直轄地として西国支配の拠点とするために、譜代大名戸田氏鉄に築城させたものです。当時は甲子園球場の約3.5倍にも相当する、3重の堀、4層の天守があったそうです。しかし明治時代になると、役割を終え廃城されました。
 その後、尼崎城を再建したいという話はあったのですが、平成27年11月、旧家電量販店(ミドリ電化)の創業者である安保詮氏から、創業の地である尼崎において尼崎城を建築するため、10億円を超える私財を市に寄附する意向が示され、さらに市民からの寄附も集まり再建に至ったのです。
 今回再建されたお城は4層5階建で、1階はショップ等、2階は幅10メートルのスクリーンのVRシアターや、侍になって斬りまくり、狙撃手になって鉄砲を撃ちまくる「侍道場」もあります。3階には、甲胄をはじめ、殿様やお姫様、忍者にも変身できる「なりきり体験ゾーン」が、4階は尼崎にまつわる展示、5階は展望ゾーンで、江戸時代の尼崎城下町の様子と共に、尼崎の街並みが一望できます。
 当社は平成30年度に、尼崎城を中心とするエリアのマーケティング戦略の策定に関わりました。その内容は明らかにはできませんが、策定過程で次のような話がありました。姫路城は、世界遺産で国宝だからわざわざ観に行く、大阪城は大阪のシンボルで太閤秀吉のゆかりもあり遊びに行く。では尼崎城は何をめざしてわざわざ行く場所にするのか。尼崎城周辺には、お城だけではなく、大規模な商店街や寺町、銭湯、飲み屋など特に外国人に人気の高い日本文化を体験できるコンテンツがコンパクトに集積。しかも尼崎は、電車で梅田から10分、なんばから15分程度の非常に近い場所に立地。大阪に集まるインバウンド客や日本人をいかに尼崎城のエリアまで来てもらうか。それが尼崎城開城2年目以降の大きな課題です。まずはみなさんも一度、おいでください。
※本業務は、地域産業イノベーショングループの江藤、水野も担当しています。

地域産業イノベーショングループ/原田弘之

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