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Letters arpakごちゃまぜの可能性
ごちゃまぜと聞くと、何となく消極的なイメージを持ちますが、ふと生活の中に目を向けると「ごちゃごちゃまざっている」状態でいてこそ、良く感じるものは身近にあります。例えば、最近まちかどで見た看板ですが、関西に住んでいれば誰もが目にしたことのある「ジャンボ総本店」の広告。
ごちゃまぜと聞くと、何となく消極的なイメージを持ちますが、ふと生活の中に目を向けると「ごちゃごちゃまざっている」状態でいてこそ、良く感じるものは身近にあります。
例えば、最近まちかどで見た看板ですが、関西に住んでいれば誰もが目にしたことのある「ジャンボ総本店」の広告。全体を俯瞰してみると、すごくごちゃごちゃしているのに、どこか、デザインに統一感があり、ジャンボのブランドイメージを作る重要な要素になっています。意図的にカオスを作り、秩序を作るデザインをしているのか…。これはどう認識するか異なりますが、見るものに解釈の余地を与えているような気もします。
さらに広い視点を持てば、歓楽街の広告物もごちゃまぜですよね。もし、ミナミのまちなみが淡色のみで形成されていればどうでしょうか。楽しいまちといえるでしょうか。確かに、景観デザインとしての統一は図れますが、あのごちゃまぜな広告物群がつくる、人間の活動があふれる場面が良いと私は感じます。ごちゃまぜになって広告物群の中には、商業者それぞれが、他より目立とうとある種競争した結果であろうと思うと、なおのこと、ストーリーが想像できるし、情熱があふれているように感じます。
結局は、何をどう見るか、または、どう表現するかによって異なります。「ごちゃまぜ」は、ネガティブにもポジティブにもなりうる不思議な言葉ですね。また、ごちゃまぜは、いろいろ混ぜた後に何かが生み出されるような期待感もあります。多様が叫ばれている時代ですが、すべてを統制しようとする考え方でなく、もうごちゃまぜになることを肯定し、その結果、生み出されるものに期待する、みたいな考え方もあって良いものだと思います。
都市再生・マネジメントグループ 芳田知紀
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