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248号(2024年11月号)特集「ごちゃまぜ」

ごちゃまぜの旨み


食いしん坊の私は「ごちゃまぜ」と聞くと、ついグルメを連想してしまいます。お好み焼き、炊き込みご飯、カレーライス、ジャージャー麺と美味いごちゃまぜ飯をあげたらキリがありません。食べ物の他にも、盛り場や界隈などの都市空間はもちろん、さまざまな価値観、属性の人が混ざり合う社会はそれぞれが相互作用して「旨み」を出しているのではないでしょうか。なぜ、ごちゃまぜには「旨み」があるのか少し考えてみたのでつぶやいてみようと思います。

 食いしん坊の私は「ごちゃまぜ」と聞くと、ついグルメを連想してしまいます。お好み焼き、炊き込みご飯、カレーライス、ジャージャー麺と美味いごちゃまぜ飯をあげたらキリがありません。食べ物の他にも、盛り場や界隈などの都市空間はもちろん、さまざまな価値観、属性の人が混ざり合う社会はそれぞれが相互作用して「旨み」を出しているのではないでしょうか。なぜ、ごちゃまぜには「旨み」があるのか少し考えてみたのでつぶやいてみようと思います。

よく混ぜると美味いらしい

よく混ぜると美味いらしい


 「ごちゃごちゃ」と「ごちゃまぜ」は若干違うように感じます。「ごちゃごちゃ」は、ただ乱雑・無秩序・雑多に異なる物体が存在しているだけに過ぎませんが、混ざり合うことで互いに関係が生まれ、そこに「旨み」が生まれるように感じます。お好み焼きを作る際にも、空気をよくふくませて軽く混ぜることで美味しくなります。混ぜるという動作は「旨み」を出すのに必須の条件のようです。一方で、すべての物体同士が結合・融合するまで混ぜすぎても旨みが出ないのではないでしょうか。物体同士が付かず離れずの関係で適切な距離感をもつ「間」があることで「旨み」が生まれている気がします。そのように考えると、私が魅力的に感じる空間や環境も例外なくうまく混ざっているものであるように感じます。路地裏の飲み屋街では、人々が飲み歩くことで空間が混ざり合い、店舗内のそれぞれのアクティビティが見える関係の「間」が存在しています。この「ごちゃ・まぜる」という動作は、まちづくりの仕事にも直結しているように感じます。価値観を共有し、人・場所・ものをつなぐこと、そして適切な距離感を持って他者と接するという言動はまさしく「ごちゃ・まぜる」行動ではないでしょうか。
 今の私は、すっかり渦に飲み込まれ自分自身が具材としてまざってしまっていますが、うまく「混ぜる」側の人間にもなってみたいと思いました。

ソーシャル・イノベーティブデザイングループ 小宮伊織

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