レターズアルパック
Letters arpak探検と植民地主義
最近観た、アメリカの同化政策をテーマとした映画の中で、黒人のキャラクターが「探検するのは白人と決まってる」と言い放つシーンがありました。探検とはある意味で特権的な行為なのかもしれません。
最近観た、アメリカの同化政策をテーマとした映画の中で、黒人のキャラクターが「探検するのは白人と決まってる」と言い放つシーンがありました。探検とはある意味で特権的な行為なのかもしれません。
先日、山梨県北杜市の「清春芸術村」を見学しました。山奥の住宅地に突如、安藤忠雄や藤森照信などの名建築が立ち並ぶ敷地が現れます。1980年、画商の吉井長三が、親交があった白樺派が夢見ていた美術館を実現させたことから始まりました。芸術家の創作、交流の場として、八ヶ岳など山々に囲まれ、春には桜が咲くこの場所を選んだそうです。
近年、白樺派の民藝運動が注目を集めています。民藝運動とは、日本各地の日常の生活道具を民藝として蒐集し、生活の中に美を見出す運動です。当時、上流階級が専有していた芸術を民衆に開き、ヒエラルキーの解体を図ったとする一方で、民衆への非対称的な視点、アイヌや中国の王侯貴族の美術品をも民藝とみなすなど、その観点が植民地主義的であるという批判もあります。芸術村も、自然に囲まれた土地と名建築にほれぼれする一方、そこだけまちから浮いているような、民藝運動と共振するものを覚えました。
同じく北杜市に位置する清里は、1970年代半ば頃に人気を博し、タレントショップやメルヘンな建物が立ち並び、「高原の原宿」と呼ばれていました。現在、駅前にはメルヘンな建物だけが残っているようです。
清里は、1938年、奥多摩の小河内ダム建設のために立ち退きを強いられた人によって開拓され、関東大震災の支援のため来日したポール・ラッシュ氏が、標高が高く米作に適さない清里高原での農業を指導し、開拓を支援しました。これらの開拓は観光地の地盤をつくりました。清里は様々な外部からの開拓、開発の歴史を有しています。
今回、北杜市の芸術村を訪問し、清里の歴史を知ることで、探検し、発見し、開拓するという行為は、その土地に経済的基盤や文化をもたらす一方、植民地主義的な側面を免れ得ないと感じました。今後も、負債を残さないまちづくりの在り方を考えていきたいです。
ソーシャル・イノベーティブデザイングループ 宮英理子
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