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234号(2022年7月号)特集「みず」

大阪と木と水と


大阪から東京に移った作家は、樹木の存在感に驚くことが多いようです。

 大阪から東京に移った作家は、樹木の存在感に驚くことが多いようです。

 二十年以上前、東京に住んでいた友達が連れて行ってくれた表参道だった。どこかお店にも入ったと思うが、ケヤキのことしかわたしは覚えていない。あんなに太くまっすぐに伸びる幹を私は見たことがなかったし、空を覆うように広がる枝も、森の奥深くみたいな密度で茂った葉も、あまりに圧倒的だった。
 (柴崎友香「樹々が伝えてくれるもの。」BRUTUS 2018年3月15日号)

 二十五、六年前、私が初めて大阪から上京して、まず驚いたのは東京の町中に木の多いことであった。(中略)ここに来るたびに、二十歳の私は、その山の北端に立っている名を知らぬ大木の根に腰を下ろして、「東京はええな、町ン中に、こないに木イが仰山あって、」と驚きながら口の中で云ったものであった。
 (宇野浩二「木のない都」(『新風土記叢書1 大阪』))

郷土研究上方「上方水涼号」

郷土研究上方「上方水涼号」


 宇野浩二の感想が、1910年頃のようなので100年近く経ってもその印象は変わらないようです。
 緑地の少なさを示すように、大阪市は政令市で都市公園の面積が最も少ないです。「商人の街だからお金にならない空間は削ってしまって、公園も少ない」などの話を聞きますが、実は削っても気にならなかったのではないかと最近感じています。
 それは水の存在があったからではないでしょうか。かつての大阪を描いた絵を見ると、水辺の使い方も楽しそうで上手に見えます。公園のように一息つける公共空間の代わりを河川や水辺が担っていたのかもしれません。大阪出身東京在住の友人にも話したら割と納得してくれましたが、どうでしょうか?

木谷千種「浄瑠璃船」

木谷千種「浄瑠璃船」

公共マネジメントグループ 石川俊博

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