レターズアルパック

Letters arpak
   
230号(2021年11月号)まちかど

「芦屋川駅前・暮らしまちづくり ビジョン」を地域でつくろう


「芦屋」というとどのようなイメージを持たれるでしょう。北に六甲山、南に大阪湾が逼り、そこを南北に「芦屋川」が流れ形成された扇状地で、典型的な天井川となっています。

「芦屋」というとどのようなイメージを持たれるでしょう
 北に六甲山、南に大阪湾が逼り、そこを南北に「芦屋川」が流れ形成された扇状地で、典型的な天井川となっています。この山麓部に位置する「阪急芦屋川駅」は北の玄関口で、旧芦屋村の中心地でした。歴史は古く、北山麓に弥生時代中・後期の「会下山遺跡」があり、飛鳥・奈良・平安期には莵原郡の役所(郡家)が置かれたと言われ重要な地域でした。また、小倉百人一首で有名な猿丸太夫の子孫を称する旧家があったり、在原業平が別荘をもうけ遊んだとされるなど、文化的な風土でもありました。大正9年に阪急電鉄神戸線が開通し、芦屋川上に駅が開設されました。明治・大正期に大阪の郊外地として、別荘(住宅)開発が進み、船場商人や企業勤労者が住まうようになり文化的な彩りが添えられたといえます。

芦屋川~月若橋より駅方向を望む

芦屋川~月若橋より駅方向を望む

芦屋に相応しい暮らしあふれる駅前を
 谷崎潤一郎の『細雪』にこの阪神間の生活文化が描かれています。この作品の中でもとりあげられている「阪神大水害」は、昭和13年7月の大雨で大きな被害を受けました。その後の復旧事業によって、河川の護岸堤や鉄道と道路との立体交差がなされ、コンクリートで固められた現在の芦屋川駅前となっています。
 駅南の月若町で、まちづくり協議会を立ち上げ、地区計画を提案したおりにも、この駅前の道路が狭く、駅前広場のような乗換えのスペースが無いことによる交通の危険性や、芦屋川特別景観地区である玄関としても相応しくないことを指摘しました。同時に駅周辺は、少子・高齢化が進行し、以前は賑わっていた商店街は、若干の飲食店、商店、住居、小規模共同住宅、閉店した店舗が密集し防災上も懸念されます。誇らしかった芦屋市の北の玄関としての風情や生活感を再生していくことが望まれています。

水害前の芦屋川駅、北側の桜橋から(出典:精道村のあゆみ)

水害前の芦屋川駅、北側の桜橋から(出典:精道村のあゆみ)

川沿いのバス停より芦屋川駅を望む

川沿いのバス停より芦屋川駅を望む

住民有志が「芦屋川駅周辺地域の生活環境を考える会」を立ち上げ
 行政に整備の要望をしていますが、一方的に行政に頼り、任せているだけではなく、住民目線で意見を出していくことが大事だと話合いを続けてきました。地域にとって包括的に協働・連携を住民有志で取り組もうと「芦屋川駅周辺地域の生活環境を考える会」を立ち上げ、まず「芦屋川駅前・暮らしまちづくりビジョン」を住民発意でつくろうと動き出しています。課題対応のハード先行ではなく、暮らしビジョンから、商店街や地域活動の連携を育てながら、行政との協働によって、具体の駅前整備を実現していこうと考えています。

顧問・主席研究監 馬場正哲

230号(2021年11月号)の他記事

バックナンバーをみる

タグで検索

ページトップへ