レターズアルパック
Letters arpak年相応のつとめ ~某寺住職との出会いから~
名前から「出オチ」?になっていますが、今号のテーマは「つとめる」ということで、「勤め」「務め」について書かせていただこうと思います。
名前から「出オチ」?になっていますが、今号のテーマは「つとめる」ということで、「勤め」「務め」について書かせていただこうと思います。
「勤める」
「お勤め」と聞くと、「寺院」を連想される方もおられると思います。学生の頃、寺院雑務のアルバイト求人が目にとまり、何を思ったのか、応募のため某寺院を訪ねました。市内では観光寺院として多くの集客があり、当時の住職の楽しい法話目当てに訪問される人も多い賑わいのあるお寺でした。
住職と1時間程お話をして、「若い人は年相応のおつとめをしなさい」と諭され、お茶菓子とありがたい法話をいただき、そのまま帰路につきました。
年相応の「務め」
「年相応」という言葉はあまり好きではありませんが、この年になると、当時の住職の話も何となくですがわからなくもないかなと、原稿を書きながら思い出しました。
お話をうかがった住職は既に亡くなられていますが、20歳そこそこの若い学生相手に、真剣にお話いただいたのは、「若い時にはもっといろんなことにチャレンジしなさい」という意味だったのだと思えるようになりました。
当たり前といえばそれまでですが、それなりに年齢を重ねておられた住職は、アカの他人である若者に人生の教訓を与える、という役割を果たしていただいたのではと思います。それは「勤め」であったかもしれませんが、社会の先輩としての「務め」も果たしていただいたのでは、とも思います。
では今の自分は?
では、振り返って、自分は年相応の「務め」が果たせているのか?仕事、地域、家庭等、それぞれの場面で果たすべき「務め」の内容は異なりますし、住職のように「勤め」を通じて「務め」を果たすという局面も増えてきているのではと感じていますが、それなりに「務め」られているかな?と思うものもあれば、まだまだ足りていないかも、と感じている「務め」もあります。
今更ながらですが、住職の教えを今一度思い出し、年相応ではないかもしれませんが、その時に果たしていける「務め」を全うしていけるよう、「努めて」いきたいと思います。
地域再生デザイングループ 石井努
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