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221号(2020年5月号)特集はじまる、はじめる

近代都市計画と幼児施設 そのはじまり、そのつながり


2020年は、年初から、COVID19、すなわち、新型コロナウイルス感染症のパンデミックを経験しました。実は、人類史は大昔から、病原微生物による感染症との闘いの歴史でした。

 2020年は、年初から、COVID19、すなわち、新型コロナウイルス感染症のパンデミックを経験しました。実は、人類史は大昔から、病原微生物による感染症との闘いの歴史でした。

伝染病から始まった チャドウィック・レポート
 「都市計画」を学んだ人は、エドウイン・チャドウィックの名をご存知でしょう。1838年の新救貧法制定に携わっていた彼は、1842年、イギリス議会へ一般報告『イギリスにおける、労働者階級の衛生状態』を提出しました。議会は王立委員会で審議し、1848年『公衆衛生法』(Public Health Act)を制定しました。実は、これが近代都市計画の始まりと言ってよいのです。1848年といえば、日本では嘉永元年。5年後の1853年(嘉永6年)6月、ペリー司令長官のクロフネ来航で、夢を覚まされるのです。
 18世紀半ばからの産業革命は、動力や機械だけでなく、都市の様相も変えてしまいました。工場生産様式の発達は農村から労働力を吸い上げ、手工業者や商人のまちは、工場労働者の居住地になりました。資本主義の母国といわれるイギリスは、その最先端を行きました。世界に版図を拡げ、国内では産業資本家がのし上がり、ビクトリア朝イギリスは、かってない繁栄をもたらしました。が、反面、植民地では、収奪への抵抗が、国内では貧富の差が拡がり労働者の反抗が激しくなりました。その上、ロンドンなどは、犯罪と伝染病の流行で危険で不潔な街になっていました。

病原菌説と水 ジョン・スノウの調査研究
 19世紀のロンドンは、たびたび、コレラの流行に見舞われています。記念館があって、イギリスでは、麻酔医でもあった医師・ジョン・スノウの名は、よく知られています。1854年、ソーホー地区でコレラが集中的に発生した時、スノウは地域住民への聞き取りで、原因がブロード・ストリートにある一つの給水ポンプであると突き止め、ポンプを止めました。この行動でコレラの流行を食い止めたと言われています。古代から、天然痘はじめもろもろの感染病は、「瘴気」と言って、悪い空気のせいだと信じられていました。一方、大昔から、牛飼いは天然痘に罹り難いといった伝承もありました。
 1798年、種痘法を発表し、免疫学の祖と言われるエドワード・ジェンナーもイギリスの医師でした。
 スノウは、コレラ菌を発見したのではありませんが、瘴気ではないことを証明したことで、〝疫学の祖〟の誉を与えられているのです。
 サニタリー・アイデアと言われる公衆衛生の思想は、下水道建設という最初の都市計画事業としてピープルの前に現われます。下水道はフランスにも及びました。遅れて資本主義へ進んだドイツでは、細菌学者、ロベルト・コッホによるコレラ菌発見(1883年)など、疫学の発達による予防接種が下水道にとって換りました。我が国はもっと遅れていました。

歩道と下水道 チャドウィックとベンサム
 チャドウィックは公共歩道と公共庭園についても提言しています。アーサー・コナン・ドイルは、「シャーロック・ホームズの冒険」で19世紀末ロンドンの街を描いています。富裕層が住むウエストエンドでも、家々にはトイレがなく、汚物は窓から道へポイと捨てていました。金持ちは馬車に乗りますが貧乏人は、その上をバシャ、バシャと歩くのです。『公共歩道法』(Public Walk Bill)は、まず歩道を作るべしという立法です。
 世の中を見て、眼前の問題を解決するために、果敢に立ち向かう、これは何時の時代も、何処であっても、人間社会の一員たる者の使命であり、そのような人間は社会的存在たり得るのです。
 チャドウィックは、後に、サーの称号を受けますが、「功利主義」理念の創始者である哲学者・経済学者・ジェレミー・ベンサムの弟子です。その思想は〝最大多数の最大幸福〟として知られています。功利主義とは、公益主義又は、「利他主義」というべきです。

福祉と教育 オウエンとニューラナーク
 チャドウィックより、やや早いロバート・オウエンの名を聞いた人もあるでしょう。オウエンは、若くしてマンチェスターで紡績工場の支配人を勤め、いろいろな技術改良を進めて工場経営に成功した人で、合理的、進歩的な考えの持ち主でした。
 1798年、オウエンは、スコットランドのニューラナークの紡績工場を買収し、工場主になりました。当時の工場は、とてもひどい環境で、労働者の暮らしはすさみ、安上がりな労働力として、5~6歳の子どもまでが連れてこられ、1日15~16時間も働かされていました。このあたりは、チャールズ・ディケンズの、〝オリバー・ツイスト〟などにリアルに描かれています。
 オウエンは、支配人を務めていたニューラナークで、住居と一体にした紡績工場を造りました。子どものための施設もありました。こんにちでもイギリスで、Nursery School(保育学校)とよばれる施設で、「保育園」の始まりです。
 イギリスは、社会福祉でも最先端を行ったのです。ニューラナークは、今や世界遺産になっています。「保育園」の聖地でもあります。
 オウエンは、その思想と実践から、〝福祉事業と保育園の創始者〟という誉を与えられるでしょう。

三輪泰司 名誉会長

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