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212号(2018年11月号)特集「アート」

映画祭に行こう!


芸術作品そのものではなく、その制作や接触によって起きる化学的反応にターゲットを当てるのが今回の特集「アート」の趣旨になります。映画がアートか?という問に眼を瞑った上でいうと、「アート」のそうした一面を最も手軽に、手近に体験できるのが映画祭です。

 芸術作品そのものではなく、その制作や接触によって起きる化学的反応にターゲットを当てるのが今回の特集「アート」の趣旨になります。映画がアートか?という問に眼を瞑った上でいうと、「アート」のそうした一面を最も手軽に、手近に体験できるのが映画祭です。
 映画祭にはいろいろな種類がありますが、コンペティションがあって、上映作品を公募し、グランプリを選ぶというプロセスを持つ映画祭が「王道」です。京都の映画祭でいうと、京都国際映画祭のクリエイターズファクトリー(C・F)や京都学生映画祭など。同じ作品が複数の映画祭で賞を取ることも多く、昨年のC・Fグランプリの「カランコエの花」は10以上の映画祭で賞を取っています。また、作品を募集、審査、上映し、さらに監督等を呼んでティーチインまで実施するのはとても大変なので、作品を公募せずに実行委員会が選定する映画祭もたくさんあります。
 それでも多くの映画祭には共通するものがあります。それは祭りの持つ華やかさであり、選定される映画で作られる多様性と奥深さです。その全てを兼ね備えるところが、映画祭が「アート」である理由です。
 映画を見る手段は多様化し、いつでもどこでも見られるようになりました。ただ映画館でもテレビでも、自分で選ぶ限りは似た作品ばかりになりがちです。映画祭はそうした日常を少し脱線し、非日常の世界に足を踏み入れるためにあります。予め気に入った作品だけ見て帰るのではなく、ついでに普段は見ないような作品をもう1つ、いや2つ見るのが映画祭の正しい楽しみ方です。
 ついでに見た映画が気に入れば、そこから新たな世界が広がります。そうでない場合も、なぜこの(つまらない)作品が上映作品に選ばれたのかと考えることは、自らを未知のステージに誘います。考えても理解できず(よくあります)、自らの思索の限界を感じたとしても、その経験こそが「アート」の実践に他なりません。
 見るだけで人生が変わるかもしれない映画祭。探せば色々なところで開催されていますので、ぜひ足を運んでみてください。

 

サスティナビリティマネジメントグループ/長沢弘樹

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