レターズアルパック
Letters arpak『災害に備える』を考える
9月1日の防災の日の直後、近年で最強レベルの台風21号の関西直撃、北海道での震度6強の大地震と相次いで日本列島を災害が発生、今、このタイミングだからこそ「災害に備える」事について考えてみたいと思います。
9月1日の防災の日の直後、近年で最強レベルの台風21号の関西直撃、北海道での震度6強の大地震と相次いで日本列島を災害が発生、今、このタイミングだからこそ「災害に備える」事について考えてみたいと思います。
■「想定外をなくす」という幻想
過去30年程を振り返ると、我が国は数多くの自然災害に見舞われています。
このような災害が起こるたびに耳にする言葉が「想定外」です。
「こんな場所で大地震が起こることは想定外であった」
「ここまでの大雨が降り続くとは想定外であった」
しかし、防災において、既に「想定内」や「想定外」という言葉を使うこと自体がナンセンスかもしれません。「想定外をなくすためにあらゆる想定をすべきだ」という意見も聞かれますが、本当にそうでしょうか。全ての災害に備えることは現実的ではなく不可能です。
問題は「想定」出来たか否かではなく、そのような状況に直面した際に、我々がどのように対応することが出来るかではないでしょうか。
■「自分だけは大丈夫」が被害をより大きくする
皆さんは、あらかじめ家庭で災害への備えをしているでしょうか。防災グッズを準備していますか?転倒防止のための工夫はしていますか?家族全員で緊急避難時の集合場所を確認していますか?・・・残念ながら、防災に関わる仕事をし、防災士を取得した私も胸を張って「もちろん大丈夫!」とは言えません。これだけ災害が頻発しているにも関わらず何故でしょうか?(自戒も込めて)
その原因のひとつに「正常性バイアス」が挙げられます。正常性バイアスとは、社会心理学の言葉で自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のことを言います。要するに「私は大丈夫」と思ってしまうということです。
実際、東日本大震災の時も、津波が来ると分かっているにも関わらずすぐに避難行動を取らなかったことで津波に飲み込まれてしまった方々も多くいたと言われています。
このような状況を防ぐためには、例えば津波災害では「率先避難者」が重要と言われています。自ら率先して危険を避ける行動を起こす人を見て、「私も危険な状況なんだ」と認識させることで、周囲の人々が危機意識を持つことができるわけです。一人ひとりが率先避難者になることを意識することで、周囲の正常性バイアスの解消につながります。
一方、京都大学の矢守先生(防災研究所・巨大災害研究センター教授)は、最近「心配性バイアス」という言葉を様々な場面で紹介されています。人は、自分のことはさておき親や子ども、孫のことになると途端に心配する傾向があります。こういう傾向を心配性バイアスと称し、この傾向が強く働く仕組みを通じて、防災・減災につなげられないかと提案しています。
■事前復興のまちづくりとは
「事前復興」とは、阪神・淡路大震災の教訓を踏まえ、全面改訂された国の防災基本計画で初めて出てきた表現で、『平時のうちに災害が発生した際のことを想定し、被害を最小限にするための都市計画やまちづくりを推進すること』を意味しています。
東日本大震災の際によく耳にした「いつか津波が来ると分かっていたのだから、高台移転の候補地を予め探しておくべきだった」という言葉はまさに事前復興の考え方の一端を示しています。
一方、この言葉は我々の業界内でも一般化しているとは言えません。先日、あるシンポジウムのなかで、京都大学の牧先生(防災研究所・社会防災研究部門教授)がその理由について示唆する発言をされていました。
・そもそも復興の定義があいまい
・故に復興対策が軽視されがち
・事前復興の取組の有効性が明確でない
要するに、「命を守ることは注力しやすいが、その後まで考えが及んでいない」という現状があるようです。
大規模な防災インフラ(防潮堤や河川改修など)の整備、災害危険区域からの移転・・・これらは私たちの生活空間や暮らし方を大きく変化させます。
しかし、事前復興の取組は急激に、かつ大きくまちを変えることなく進めていくことができるという特徴があります。加えて、事前復興を考えることは私たちが暮らすまちの未来を考えることにもつながります。人口減少、生業継続の困難・・・災害により突如、顕在化する課題は、私たちの未来の課題でもあります。
『防災をきっかけに私たちの未来を考える』
それが事前復興であり、「災害に備える」ことの本質なのかもしれません。
都市・地域プランニンググループ/清水紀行
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