講演録

Lecture
第1回 適塾路地奥サロン

まちづくりの変革から、まちづくりを再考する

講師:久隆浩 近畿大学教授

日時:2018年6月26日(火)18:30~
場所:アルパック大阪事務所 大会議室

● まちづくりのルーツ ~ 制度化まで
日本のまちづくりは、1960~70年代に住民主体で展開された密集市街地整備と歴史的 まちなみ保存の2つをルーツとするが、30年ほど前までは泥臭い仕事と思われていたので、この30年で、まちづくりを取り巻く社会の状況は大きく変わったと言える。
その変遷を見ると、1980年に地区計画制度が導入されるが、合意形成の難しさから適用が大変だった。そこで1981年に神戸市が地区計画を動かすための地区計画及びまちづくり協定等に関する条例を作り、1982年には世田谷区が街づくり条例を作った。この2つの条例が制度的なまちづくりを牽引してきた。
まちづくり条例には、主に以下の4つの観点がある。①まちづくり協議会の認定:主義、主張の違いで複数の協議会が生まれると合意形成が難しくなるため、地権者の過半数が参加する協議会1つを認定する。ただし、多数の意見が正論とは限らないことから、止める自治体も出ている。②まちづくり計画の策定:市長が交代しても計画が反故にならず、10~20年後に効果を確かめられるように、条例でまちづくり計画を策定して社会的に位置付ける。③まちづくり協定:地区計画メニューから外れて地区計画に盛り込めない内容を法定化するための制度。④まちづくり支援:まちづくりを専門家が支援する体制である。


● 景観まちづくり
景観まちづくりでは、1978年に神戸市が神戸市都市景観条例を、1984年に滋賀県がふるさと滋賀の風景を守り育てる条例を作った。神戸市はまちづくり条例も景観条例も同じ部署が所管しており、都市デザインや景観づくりにまちづくり的観点が入っていたことが分かるし、神戸も滋賀も、住民主体で協議した延長上に景観づくりを置いている。
そして、1988年に私たちは景観からまちづくりをするという趣旨で『景観からのまちづくり』という本を出し、1991年には、新宿区が景観まちづくり条例を作った。これはまちづくりができると景観も整うという考え方で、今は景観の側面も景観まちづくりと言われていることを改めて考えておきたい。


● 総合的なまちづくり
そのような中で、私の仕事は都市計画だけではなく、環境、地域福祉、社会教育等、様々な分野に広がって総合型のまちづくりになり、総合計画策定の際もすべての章の分科会に参加できるようになった。つまり、地域に入ってまちづくり支援をする場合、「都市計画以外は知らない」では通用しないし、様々なことを理解しなければ地域の方と一緒にまちづくりはできないということである。これを英語でcommunity planningまたはcommunity designと言うが、要するに、総合的なまちづくりとは、コミュニティを計画したり、デザインしたりする仕事なのである。
アメリカも1960年代にPaul Davidoffがadvocacy planningを始めているが、これは住民に寄り添って住民の援護、擁護をする計画を示している。そこで改めてcommunity planningの意味を調べると、improve quality of life(生活の質の改善)という意味があった。つまり、community planningは暮らしをより良くする活動の総体であり、どのような分野でも暮らしをより良くするための活動は、すべてまちづくりと言えるのである。

 

● 協働のまちづくり
そのような流れの中で、やがて「協働」の動きが出てきた。1998年に特定非営利活動促進法(NPO法)ができたのが始まりだが、1995年に阪神淡路大震災が起きた際、予想以上にボランティアの人たちが集まったので、これをボランティア元年として、ボランティア活動やNPO活動に焦点が当たり始め、協働のまちづくりがスタートした。
ここで述べておきたいのは、東日本大震災と阪神淡路大震災では復興の流れが違うということである。阪神淡路大震災の復興は、兵庫県が復興基金も含めてボランティア活動やNPO活動を応援したのでNPOが大きく成長した。対して、東日本大震災の復興は官主導でNPOに期待する度合いが弱い。このような震災を契機にとした動き方が、社会づくりに大きく影響していると思う。
協働の延長上で改めて「新しい公共」を考えると「公共サービスを市民自身やNPOが主体となり提供する社会、現象、または考え方」と定義される。つまり、これまで行政が一方的に決めて管理的に行っていた公共サービスを、行政と市民が対等な立場で行うのが協働であり、「新しい公共」である。したがって、行政には市民を信頼し、市民が動ける場を提供して、権限も移譲してほしい。そのためにも、まず、行政が変わらなければならない。
また、経済学的には自由主義を基盤に、金融中心のマネタリー経済学から、人々のネットワークが社会資本となり、達成感やソーシャル・キャピタルの集積によって市場を形成するボランタリー経済学への価値観の大きなシフトが底流にあると言える。


● まちづくり井戸端会議
一方で、私がこの10数年間取り組んでいるものの一つに「まちづくり井戸端会議」がある。八尾市の第4次総合計画策定の際に、東山本地区でまちづくりラウンドテーブルを作ったのが最初で、それまでの課題解決型のまちづくりのような、合意形成のために難しい議論をする会合ではなく、和気藹々とした中で話をしつつ、つながりが生まれたら良いと考えて作った場である。この背景には、課題が起きてから動くのではなく、普段から皆がコミュニケーションを取っておくことが重要という認識もある。2002年に書いた論文でも、この場の重要性やプラットフォームに言及している。現在は我々の考えとは違う形のラウンドテーブルが各地に増えているので、区別するために、我々の会は「まちづくり井戸端会議」と呼んでいる。
当時は自分たちの経験則で回していたが、井戸端会議は「対話の場」であり、まさにネットワーク型のまちづくりの仕組みである。話し合いには「対話」と「議論」があり、意思決定や合意形成のために話し合う「議論」に対して、「対話」は合意形成を目的としない話し合いなので、話題が次々に変わる中で合意形成を求めないという面白い会になっている。
驚いたことに、物理学者のDavid Bohmも著書「On Dialogue」の中で同じような考えを示しており、確かに時代は変化している。


● 地域自治協議会
この数年、小学校区単位の地域自治協議会が立ち上がっているが、そこでは今、小規模エリアを分野横断して統合することで、様々な機能を持った小規模多機能自治のネットワークが、住民参画・協働の住民自治で動いている。この小学校区単位の地域自治協議会は、地域活動に2つの改革を促す。まず、活動を行事型から課題解決型へ変えるために、様々な立場の人が集まって課題を共有し、議論する場となっている。また、運営面では上意下達の階層組織型からやりたい人がやりたいことをして、それが緩やかにつながるネットワーク型の運営に変えていく。
さらに、まちづくり協議会を正常に推進するために、例えば、宝塚市では「まちづくり協議会ガイドライン」を作り、「参加したい時に、参加の意思表示ができるか」「立場や違いを認め、誰もが活発に発言できる気持ちの良い話し合いができているか」等を確認している。明石市では、自治会連合会からまちづくり協議会連合会に替わり、コミュニティ創造協会が地域の協議会の個別支援から全体支援の段階に進んでいる。三田の高平郷づくり協議会は里カフェを運営し、典型的なネットワーク型の活動を展開している。


● まちづくりと街づくり
そういう中で、豊中市は2012年に地域自治推進条例を制定し、小学校区単位で協議会を作ると同時に、まちづくり条例も改訂して地区まちづくり条例に名称変更すると、2004年に外した地区計画と建築協定の項目を復活させた。地域自治推進条例で総合的なまちづくりを行うので、地区まちづくり条例をハードなまちづくりに限定したわけである。
これを整理すると、総合的なまちづくりを「まちづくり」、ハードなまちづくりを「街づくり」と差別化できるが、同じ「まちづくり協議会」という名称でも内容が種々雑多になっているので、地区計画を目指すものを「街づくり協議会」、地域自治を行うものを「地域自治協議会」と呼び分けを考えている。


● 変わる都市計画
我々と同じ方向性で小林重敬先生が『都市計画はどう変わるか』という本を書かれており、今までは「都市化」を想定した、サラリーマン階層の要求を満たす市街地の形成が近代都市計画の課題であったが、これからは21世紀特有の新しい生き方を見つけることから新しい都市計画が見えてくると言われている。
また、「グローバル化」を目指して世界と競うまちづくりと、生き残りをかけて地域で皆が共に取り組む「協働」のまちづくりの2つの方向性があり、地域に関わる様々な人たちが作る社会的組織によって「地域価値」を高める活動が重要と書かれている。その上で、都市づくりに関わる力には、行政によるコントロールの力(規制)、民間企業によるマーケットの力(市場)、近隣社会によるコミュニティの力(協働)の3つがあるとしている。


● ネットワーク社会のまちづくり
ネットワーク社会の中で、まちづくりも、社会の動かし方そのものも変化している。個人がSNSで情報を発信する時代になり、ボランティア活動抜きには社会が回らない面もある。リノベーションまちづくりの時代でもあり、さらに、北九州の家守舎や新潟の沼垂テラス商店街、NPO法人カタリバ等、20~40代を中心に社会起業家が増えている。
この変化する時代に、ハーバード大学教授のヨハイ・ベンクラーが書いた『協力がつくる社会 - ペンギンとリヴァイアサン』という本を紹介したい。ペンギンはLinuxというソフトのシンボルマークで、他のOSが企業の開発であるのに対し、Linuxは世界中の技術者がネットを通じて協力し合って開発しているところから、一人ひとりがネットワークで物事を動かしていく社会の象徴として、ペンギンを入れている。一方、『リヴァイアサン』はトマス・ホッブスが1651年に書いたもので、王という絶対権力者の時代から市民が社会を動かそうとする変化の中で、人間は身勝手なので話し合いでまとめることは不可能として「万人の万人に対する闘争」という有名な言葉を発し、主権者に権利を預けて保障してもらう社会契約の考え方を打ち出した。その主権者に当たる国家・行政がまとめる説を唱えたのが『リヴァイアサン』である。また、タイトルにはないが、アダム・スミスが『国富論』で、個人が利己的な行動をしても市場が調整して社会全体の利益につながるという「見えざる手」の概念を打ち出している。
これにより私は、国家・行政システム(監視と処罰を通じて利己的な人間行動を抑え制御する)、経済システム(市場を通じて利己性が共通の善に貢献するような行動をもたらす)、協力システム(コミュニケーションを通じて相互に理解し合い支え合う)の3つのシステムを重要と考えた。そして、この3つのシステムを念頭に置いてこれからのまちづくりを考えると、行政が行うのが規制、経済システムの上で成り立つのが市場、協力システムが協働というように、小林重敬先生が言われた3つの力が当てはまることが分かる。
ここで重要なのは「これからは共感でつながるネットワークが社会を動かす時代になる」ということである。そして、共感やネットワークを生み出す場や皆が出会う機会をつくることが必要になり、そこに元気な人たちが集まるといろいろなことが始まる。だからこそ、地域活動協議会や地域の協議会にもそのような場づくりを期待しており、専門家には場や機会を上手く回るようにファシリテートをする役割を期待している。

 

■ 質疑応答
―― 30年後のまちづくりをどう推測するか。
久: AIが人間社会に与える影響は無視できない。今のシステムでより効率的に進めていく「超近代化」と、人間の温かさ等に回帰する「ポスト近代化」の両輪で回していくことが、社会づくりの重要な観点になるのではないか。
また、世界と勝負する都市と、地域の人たちが支えながら幸せに暮らす社会を選ぶ都市が出てくると思う。20年ほど前、都市計画学会の学会誌の特集で、「東京は世界と勝負し、他の地域は違う方法でやろう」という話があったが、エリアマネジメントも、市場ベースと協働ベースで方向性や方法が違う。


―― 地域の人間関係が難しい中で、エリアマネジメントの組織は地域代表を担えるか。
久: 人間関係を把握して、もつれたところを解きほぐすために誰に調整してもらうか等、人間関係のマネジメントが上手くいくとまちづくりはほぼ上手くいく。揉め事を処理する初期の段階は外部の人も必要かもしれないが、それを乗り越えたら、地域で回せるようになるし、自らマネジメントできないと長続きしない。また、エリアマネジメントの組織論としては、厳格に決め込むのではなく、進むべき方向性をビジョンとして共有する程度で良いと考えている。


―― まちづくり井戸端会議のような場は、どうすれば継続できるのか。
久: 誰かが責任を担うと続かなくなるので、大変にしないことが大事。集まる曜日と時間だけを決めて、部屋の予約係は置くが、世話人も決めない。若い世代が多いところはネットで連絡を回しているが、緩やかに回っているので大丈夫だと思っている。


―― 地域自治協議会を活性化するために仕組みを再編する場合、何が一番大事なのか。
久: ポイントは、活動を行事型から課題解決型へ、運営を階層組織型からネットワーク型に変えることで、特にネットワーク型に切り替えられれば活性化する。そのためには、ネットワーク型で動ける人たちの活動のネックになっている問題を取り除いていく。具体的な手段としては、前向きに取り組もうとしている人に話を聴いてもらう機会を作り、共感してくれた人たちを応援する。彼らが地域の中核になると地域が変わっていく。さらには、地域活動協議会同士も互いに学び合う機会を作ると自律的に変われると思う。


―― 1960年代は「運動」、今は「活動」と「事業」という言葉がよく出てくる。これらはどのようにバランスしていくのか。
久: 運動論は敵対する相手に理念や主義主張をぶつけるが、今は主義主張を表に出さずに、目の前で起きていることに対して自分ができることを考えて動く市民活動の時代である。そして、活動を長続きさせるためには「事業」にしなければならない。そういう意味では「運動」→「活動」→「事業」という流れで、今は「事業」が中心ではないかと思う。

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