レターズアルパック205号

特集「秋の夜」
かの文豪も愛したカフェの過ごし方

執筆者;サスティナビリティマネジメントグループ/長沢弘樹

 日課のようにカフェに行く、そんな生活の人も多いでしょう。
 昼に比べて肌寒く感じることの多い秋の夜は、とりわけカフェを訪れるのに適した季節です。近年はカフェの立地や種類も多様化し、繁華街でなくとも好みの店を見つけたり、目的に合わせて店を選ぶことができるようになりました。珈琲や紅茶だけでなく、気分に合わせてビールやワインを楽しめる店も多く、客層も多様化しています。私も毎日のようにカフェ(喫茶店ですが)に行きますが、学生の頃の習慣を今なお続けていることに苦笑してしまいます。
 人はなぜカフェにいくのでしょう。自分でも分からないのにそんな問いは愚問でしょうか。
 文豪ヘミングウェイの晩年の作品、パリで過ごした20代の若き日々を描いた自伝的小説の「移動祝祭日」では、カフェの場面が繰り返し出てきます。目的を持って、或いは気の向くままにカフェを訪れ、仲閒と議論し、妻と愛を語らい、空腹を満たします。独りの時は小説の執筆という仕事をこなし、面倒な知人を見つけたらそそくさと逃げだします。そんな刺激的な日常を送るヘミングウェイがカフェを自由自在に使いこなす達人に見え、羨ましくなります。とは言え、これは40年後に振り返って書かれた小説です。ただでさえ美しい思い出を更に美しく切り取っていることは読み手にも分かります。郷愁を伴った美しさも高度に作為的なものに見えます。
 ヘミングウェイがパリにいた1920年代、パブロ・ピカソ、ジェイムズ・ジョイス、ジャン・コクトー等、多くの分野で新しい芸術が華開きました。そんな時代に小説家としての下積み生活を送ったからこそ、パリを離れた後もその経験を懐かしむだけでなく、自身を奮起させる糧とし、死の間際には小説にまで昇華させたのでしょう。
 私を含め、誰しもそうした類の経験を持っています。カフェに足を運ぶ理由の一つには、既に失なってしまった、下手をすると忘れてさえしまいかねない経験に力を与え、現実の日常生活を鼓舞することがあるように思います。それにはヘミングウェイのようにカフェを使いこなす必要はありません。目の前のカフェをただ訪れ、気が向いたものを注文する。それだけで十分ではないでしょうか。


 

レターズアルパック205号・目次

2017年9月発行

特集「秋の夜」

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