アルパックニュースレター180号

皇居ランの問題にまちづくりのアプローチで取り組む

執筆者;都市・地域プランニンググループ 坂井信行

ランナーの「聖地」

 近年、健康志向の高まりなどからランニング人口が急増しています。都心部でもランニングをしている人を見かける機会が増えました。ところで、数あ るランニングコースの中でもおそらく日本で一番人気があるのが皇居の周りの歩道を周回する皇居コースでしょう。何といっても濠や石垣、緑と高層ビ ル群のコントラストが織りなす景観が素晴らしいことに加え、信号がないこと、距離が1周5kmと程よいこと、そして夜間でも治安が良いことなどか ら各種のメディアにも取り上げられ、いまやランナーの「聖地」とまでいわれるようになりました。
 皇居の周辺にはシャワーやロッカーを利用できるランナーサポート施設が数多く立地し、ホテルではこれらの施設利用券やウェアの貸し出しサービスな ども付いたランナー対象のプランまであります。
 千代田区の調査によると皇居コースを走る一日のランナー数は平日で約7,500人、休日には約9,000人にもなります。周辺で働く人が仕事の後に走ったり、外国人も含めたランニング観光客も多いのですが、実は一番多いのが競技会などのイベント参加者です。競技会では桜田門前広場などが集合場所として利用されることが多く、平成23年度には利用申請ベースで年間300件弱、参加者は70,000人弱にもなりました。


ランナー、歩行者、自転車で混雑する歩道

「聖地」の悩み

 皇居コースは「聖地]ならではの悩みを抱えています。そもそも皇居は日本を代表する観光地でもあるため一般の観光客も多く、ランナーと観光客などの歩行者が接触するトラブルが頻発するようになったのです。また、北の丸公園に近い代官町通りには一人通るのがやっとという幅員が狭い所もあっ て、安全な通行が阻害されている状況もあります。
 このため、千代田区や警察がランナーに注意を呼びかける看板を設置したり、周辺のランナーサポート施設でつくる「皇居周辺ランナーサポート施設等 連絡会」が「皇居ランマナー“10の宣言”」をつくってランナーに啓発してきました。
 マナーというのは例えば「左側走行を心がけます」「できるだ け反時計回りで、逆走は控えます」といった具合です。それでもトラブルはなかなか減りませんでした。
 こうした状況を改善するため、千代田区は学識経験者、地域団体、利用者、関係行政機関で構成する「皇居周辺地域委員会」を立ち上げ、対策を検討す ることになりました。トラブルの最大の原因はランナーであるため、ランニングを禁止することが最もシンプルな対策です。しかし、皇居ランニングは ある意味で貴重な観光資源でもあります。このためランナー、歩行者、自転車の利用者などみんなが気持ちよく歩道を利用できる方策を考えていくこと になり、私たちはこの取り組みをサポートさせていただきました。


最も幅員が狭い区間

まちづくりのアプローチで取り組む

 皇居の周辺には観光客が多い桜田門や大手門周辺、ビジネスエリアである竹橋や半蔵門界隈、桜の季節には花見客で混雑する千鳥ヶ淵公園など、様々に 性格の異なるエリアがあります。歩道の利用者はランナーの他、観光客、地元住民、ビジネスマンなどなど様々です。さらに道路は国道、都道、区道に分かれ、イベント時の集合場所となる桜田門前広場の管理は環境省、道路使用の管轄は丸の内警察署と麹町警察署に分かれるなど、管理側も様々です。この一見混沌とした状況の中からいかに解決を見いだしていけばよいのでしょうか。そこで、多様な利用者それぞれが相手のことを思いやりながら利用できる環境を、管理者が連携してつくっていくことが重要ではないかと考えました。お互いさまの気持ちと協働の取り組み、つまりまちづくりのアプローチです。
 かつての江戸の町衆の間には、お互いを気遣う生活のマナーとして口伝により伝承されてきた「江戸しぐさ」というイキな哲学があったと言われていま す。有名なところでは、雨の日に通りですれ違うときに傘をお互いに外側にかしげて濡れないようにする「傘かしげ」などがあります。また、首都高速道路ではより安全に、スマートに走りたいと思う仲間の輪を広げ、他人を思いやる気持ちを増やすことで事故を減らすことをねらった「東京スマートド ライバー」という取り組みがあります。
 時代も背景も全く異なるこれら二つに共通するのは相手への「思いやり」です。同様に、皇居ランの問題も「思いやり」をベースに利用者の気持ちに訴 える取り組みを提案していくことにしました。


競技会開催時の様子

取り組みの内容

 皇居周辺地域委員会で取りまとめられた具体的な対策は、利用者が取り組むものと管理者が取り組むものという立場別に整理されました。利用者が取り組むものは、(1)利用者の共通マナーをつくること、(2)マナー周知キャンペーンを実施すること、(3)清掃などのボランティア活動をすること、(4)競技会やイベ ント開催の地域ルールをつくること、(5)ランニングの空間的・時間的分散を進めること、管理者が取り組むものは、(1)路面表示による注意喚起、(2)道路環境の改良や修景整備、(3)ポスターや看板によるマナーの周知などです。
 利用者の共通マナーは前述の「10の宣言」などをもとに新たに9つのマナーが定められました。地域ルールは、競技会などの際の集合場所や一日あたりの参加人数の制限などが定められました。
【皇居周辺歩道利用マナー】
 ・歩道は歩行者優先
 ・歩道をふさがない
 ・狭いところは一列に
 ・周回は反時計回り
 ・タイムよりゆとり
 ・ながら通行は控える
 ・自転車はすぐに止まれるスピードで
 ・ゴミは必ず持ち帰る
 ・思いやりの心で
【競技会等の地域ルール(主なもの)】
 ・集合、スタート・ゴール地点は桜田門前広場に限定
 ・参加申請可能人数の上限は700名
 ・観桜期などの開催は認めない
 ・交通整理員の配置を義務付け
 ・思いやりの心を持って行動するよう誘導

「思いやり」をベースにした取り組み

 さて、先に述べた「思いやり」をベースにした取り組みとは何か。皇居ランの問題のように、様々な立場の人が関わる問題を解決していくためには、まずは一人ひとりが自分の立場できることを考えることが必要です。ただし、その際に相手のことを思いやる気持ちがないとそれぞれの取り組みはちぐはぐになるでしょう。一人ひとりが他者に気を配り、思いやりの気持ちを持って行動すれば多くの問題は改善するのではないでしょうか。
 今回の取り組みでは利用者の共通「マナー」と競技会開催の「ルール」をつくりました。マナーは感性に訴えるもの、ルールは理性に訴えるもので す。みんなが気持ちよく利用できるよう、一般の利用者には思いやりの気持ちを喚起して自主的なふるまいの改善を求める一方、イベントの主催者には きちんとルールを守ってもらうという考え方です。
 歩道利用マナーはほとんどが当たり前のものばかりです。しかし、これすら守れないようだと次は「ルール」の導入を考えざるを得なくなるでしょう。今回の対応は、市民社会の自律性に期待するイキな取り組みと言えるのではないでしょうか。